適切な努力?んなもんやるまでわからん!
我々は幼いころから「努力」を「美徳」として教えられる。努力することはいいことだ。努力はいつかむくわれる。
本当にそうだろうか?
すると今度は「努力してもむくわれないことはある」と言う人たちが出てくる。そんな人たちは決まって「適切な努力をしなければむくわれないよ」とその先を促すのだ。
じゃあ、その「適切な努力」って? 教えて、ドラえもーん!
結局は結果論?
個人的に、「適切な努力をすればむくわれる(こともある)」というのは半分正しくて、半分間違っていると思う。
なぜならそれは、一般的にはすでに成功している、あるいはそれに近い人たちの言葉だからだ。
そんな人たちだってきっとうまくいかないころがあったはずで、失敗を重ね、試行錯誤を繰り返し、そこまでたどり着いたのだと思う。
それは努力の賜物にほかならない。
でも。でも、だ。「適切な努力をしろ!」と声高に叫ぶのであれば、誰でもそれができるのであれば、彼らは失敗なんてしていないはずだ。
彼らだって数多くの失敗のなかから学び、それを生かしてきたからこそ今がある。そしてその方法はきっと、誰にでも適用されるものではない。
十人十色、人それぞれやりかたがある。自分で見つけなくてはならない「適切な努力」が。
つまり「適切な努力」とは、「うまくいったときの結果論」ということではないだろうか? 努力が実るまで、それが適切かどうかを見極めるのは難しい。
それは例えば根性論
基本的に、わたしは「根性論」や「精神論」といったものがあまり得意ではない。経験上あまり良い思い出がないし、それでうまくいった試しがないからだ。
特に原因不明のめまいで苦しんでいる今、「そんなの気合いでどうにでもなるよ!」なんて言われようものなら、クレヨンしんちゃんのネネちゃんのごとくぬいぐるみにパンチを入れることだろう。
だけど昔、こんなことがあった。
留学当初、留学生を嫌う理科の先生に当たってしまったという話は記事にしたばかりであるが、最終的にどうなったかというと、ズバリ、仲良くなった。
「あれだけのことを言われたのに!?」「そんな余地あるの!?」と驚く人もいるかもしれない。でも事実だ。
というのも、わたしの学校には最終学年になると、めちゃくちゃ過酷なキャンプ合宿があった。費用は生徒持ちなので任意だが、一年のはじまりにあるのでだいたいの生徒が参加する。
その責任者のような立ち位置にいるのが、彼(以下、教師A)だった。
もう一度言うが、キャンプはかなり過酷だ。20kgほどのバックパック+テントや寝袋を背負って、一日のうち6〜7時間ほどひたすら山登り。
しかも、ただの山登りではない。軍手を使って、ときに手を使いながら岩山を登る、けっこう、いや、かなり"本格的"な登山だ。
頂上に着いたときはほとんど崖の際を歩くような感じで、緩く張られただけのロープに「足を滑らせたら命はない」と身震いしたのを覚えている。その日は霧も濃く、風も強かった。
休憩はあったが、なんのことはない。休憩中はレクリエーションと称して謎の体力づくりをやらされた。
その国の軍隊がやっている訓練を間に挟まれたときは、白目を剥きそうになったものだ。
そんなのが4泊5日も続く。そうすると泣きだす女子がいたり、文句を言いだす男子が出てきたりもする。みんなが疲弊しているなか、運動部の男子が女子を助けていたりすると不覚にもときめいた。
かく言うわたしも、途中貧血で死にそうになった。あのときもらったチョコレートの味は一生忘れないだろう。
たかがキャンプ、されどキャンプ。命懸けの山登りだった。
「こんなことをする意味はあるのか?」と限りない時間のなかでひたすら考えた。なにひとつ楽しくないし、疲弊したときにはその人物の人柄があふれ出て、酷いときには誰かのたった一言でチーム内に険悪なムードが流れることもある。加えて、そのチームにわたしの友達はひとりもいなかった。ここは地獄ですか?
とにかく、そんな最低最悪のキャンプ体験だった。
ここで話は少し変わるが、わたしは諸事情により最終学年を二度にわたり経験している。つまり、キャンプへの参加権も二度あった。
正直、一度目でもうこりごりだった。過酷だし、足は痛いし、帰った次の日には学校だし。
でもわたしはまた参加することを決めた。
なぜなら、今回は友達も参加するという話であったし(ただし、違うチームになってしまった)、一年のはじまりなので、新しく友達を作る良いきっかけになることがわかっていたからだ。
その年のわたしは「最後の年ぐらい現地の友達たくさん作って、無理矢理にでも良い思い出にするぞ!」という謎のやる気で満ち満ちていた。
結果から言おう。
めちゃくちゃしんどかった。普通に後悔もした。でも、変わったことが2つ。
まずは、友達が増えたこと。留学生が多数参加するなかで、わたしのチームにはほかに留学生がいなかった。だから積極的にまわりに声をかけてみた。「わたし、ここにいるよ!」アピールだ。成功した。
その2。
教師Aと和解した。ただし、そう思っているのはわたしだけである。
というのも、行きのフェリーのなかで、教師Aはわたしを見つけて「あれ、お前、昨年も参加してなかったか? うん、確かにそうだ。顔に見覚えがある」と話しかけてきた。教師Aはわたしが彼の授業を取っていたことなど、微塵も覚えていなかった。
でもそんなことは口に出さず、とりあえず「最終学年、二度目なんで」と答える。現地の生徒でも時折留年することはあるので、留学生が二周目だったところで驚く人はいない。
ただ、教師Aのことだ。またなにか嫌味を言われるかもしれない。数々のトラウマが蘇っていく。
しかし、この日は違った。
教師Aは「ほう」と呟くと、手を差し出してきた。なにこれ、握手? そして言うのだ。
「俺はこの学校に30年勤め、このキャンプでも毎年生徒を引率している。留年した生徒なら五万と見た。でも、このキャンプに二度も参加したのはお前がはじめてだ。根性あるじゃないか。気に入った!」
この日を境に、彼は校内でわたしを見かけると声をかけてくるようになった。
つまりここでいう教師Aに嫌われないための「適切な努力」とは、「根性を見せること」だったのだ。もしかしたら前回の記事で書いたような「どうせ英語なんてできるようになるはずがない」という言葉にも「やります! やれます!」と返していたら、なにか違う結末があったのかもしれない。
それは例えば意地やプライド
それから、こんなこともあった。
学校を歩いていたら、突然背中に痛みが走った。遠くから男子たちの笑い声がする。留学生界隈で有名な中学生の悪ガキたちだ。
後ろを振り返る。
リンゴが落ちていた。
海外の学校ではランチのデザートにリンゴを丸々持ってくるなんてことも珍しくないので、きっと食べきれなかったのだろう。
もう差別には慣れていた。なにも思わなかった。ただ、じんわりとした痛みが背中から広がっていった。
男子たちは笑い続ける。ときに差別用語を口にしながら。わたしがまだ英語のひとつも覚えていないと思っているのだろうか。
彼らは英語しか話せないくせに? 英語がすべてだと思っているくせに? 親元から離れてまで第二言語を勉強するわたしたちを馬鹿にする?
なにも思っていなかったはずが、考えはじめたら次第に腹が立ってきた。
留学も2年目。ある程度、強くなっていた。
だからわたしは彼らに、リンゴを返しに行った。「食べ物を無駄にしちゃ、駄目だよ。それは日本人から見ると、道徳心に欠ける格好悪い行為だから」と。
優しさから注意したわけではない。むしろ嫌味だった。
彼らの大半は、わたしを攻撃したくてしているわけではない。一緒にいる友達に格好良い自分を見せたいのだ。なんでもない自分を大きく見せたいだけなのだ。
万国共通かもしれないが、「ちょい悪なことしてる俺、かっこいいだろ?(いわゆる厨二病)」な時期が中学生あたりになると訪れる。
その標的になってしまうのが留学生だった、というだけのことだと、この時期になるとわたしはもう理解していた。
だからあえて言ったのだ。「それ、格好悪いよ」と。笑顔まで見せつけて。大人ぶるわたし、格好良いでしょ?(厨二病継続中)
でもそれは同時に、留学生としての意地やプライドでもあった。マイノリティーだからと、攻撃されないようにコソコソしなければならないいわれはない。わたしは外国人かもしれないが、この学校の生徒だ。卒業すれば、母校になる。
負けたくない。そう思った。表情は穏やかでも、心はすでに臨戦態勢に入っていた。もうひとりのリトルもかが頭のなかでファイティングポーズを浮かべる。きっとなにかしらの反撃を受けるだろうと覚悟していた。
しかし、どうだろう。
静かにこちらを見ていた男子たちはなにを思ったのか、手を差し出してきたのだ。またこのパターン!?
「まさか返しに来る奴がいるなんて思わなかった! 悪いことしたな!」
そう言って半ば無理矢理握手をすると、彼らはリンゴをかじりながら去って行った。まだ食べるんかい。
その日から、彼らとわたしは"加害者"と"被害者"ではなくなった。
こうして、意地やプライドが「適切な努力」に結び付く場合もある。
例えばそれは少しの勇気と行動
これもまた、前回の記事で話したことだが、わたしはスクールバスのなかで30分間ひたすら後頭部を叩かれるという拷問に合っていた。
痛かった。物理的にものすごく痛かった。この間に、何万の細胞が失われたかわからない。
"口のない留学生"になって以来、わたしは「叩いていい人間」になっていた。もはや彼らがわたしを人として認識していたかどうかすら定かではない。
ただ、これに関しては、我慢の限界に達するのが割と早かったほうだと思う。それほどまでに痛かったからだ。
仕方ない、わたしは英語もできないんだから。
そう自分自身に言い聞かせ、耐え忍ぶこと一カ月。終わりは突然やってきた。
その日もわたしは変わらず、彼らの玩具と化していた。痛い。日増しに痛みが増していく。誰もが見て見ぬ振りをするどころか笑っている。恥ずかしい。
…恥ずかしい?
なぜ理不尽に"やられている側"のわたしが恥ずかしい思いをしなければらないのか? こんなに痛い思いをしてまで、耐えなければならないのか?
そう思ったわたしの行動は早かった。
窓を見る。移りゆく世界のなかに、ちょうど背後の席から手を伸ばそうとしている彼が映り込んだ。
「はあ!?」
叫んだのは彼のほう。ひそやかな笑い声に満ちていたバスが、静まり返った。嫌な沈黙だ。けれど、痛いのはもう嫌だった。
彼の視線の先にあるのは、自身の手。わたしは思いきり、彼の腕を掴んで止めていた。目の前にある心底驚いた表情に、心なしかスカッとしたのは内緒だ。
とはいえ、まだ英語はうまく話せなかった。当然だ。英語力ゼロで渡航したのだから。
でも、なにか言ってやらないと気が済まないというのも事実だった。ずっと我慢していた。理不尽な暴力を受けて、それを大人が無視しようと我慢していたのだ。心の中に溜め込んできたなにかが、ポロリとこぼれ落ちた。
「留学生だと思って馬鹿にしてるみたいだけど、なに? 英語が話せないからってなんですか? こっちは寝る間も惜しんで宿題と格闘してるんですけど? ひとつの言語が話せるだけで大きな顔しないでくださーい」
これはこれで、なんて性格が悪い女だと思われるかもしれない。でも内容なんて正直、どうでもよかった。
わたしが発したのはすべて、日本語だった。そして最後にかろうじて伝えられる程度の英語を放つ。
「日本語、わかる? 英語しか話せない、人、笑われたくない」
たぶん、文法はめちゃくちゃだった。しかもカタコト。これはもう、爆笑が起きても仕方ないとすら思った。
でも、彼の反応は少し違った。
なにも言わなかったのだ。ただ、手を引っ込めるだけで。
謝罪はない。バスのなかでもすでに、まわりの時間は動きだしていた。
以降、やはり直接謝られることはなかったが、その代わり無意味に叩かれることもなくなった。きっとそれが、彼の精いっぱいだったのだろう。
ある意味、みんな根は素直なのだ。だからわたしも、最後まで頑張れたのかもしれない。
ここでの「適切な努力」とは、なにも言わず耐えることでなく、少しの勇気をもって行動することだったのだ。
だからやっぱり結果論
こう考えると、「適切な努力」や「効率的な努力」というのは量をこなしたうえで、身に付いていくものだと思う。
まずは量。それから分析。エラーが見つかれば、随時修正する。
その結果として、うまいこと成功した一部の人が「適切な努力を!」と叫んでいる。
最初からそこを見様見真似で目指そうとしても、無理なのだ。だって彼らは圧倒的な努力を重ねてきた経験を踏まえて、そう言っているのだから。
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