わたしは何にだってなれる(feat.人間っていいな)
今日は少し、「夢」の話をしようと思う。というのも、わたし(もか)のtwitterでも呟いたのだが、小2のころ、わたしには夢があった。「マイク屋さんになる」という夢だ。
今考えれば「マイク屋さんとはなんぞや?」という感じだが、謎に親が精いっぱい応援してくれたおかげで、夢が変わってからもしばらくはそんな職業があるものだと信じ込んでいた。なんなら一時期は「傘の修理屋さんになる」と言っていたこともあるぐらいである。
今回は、そんな「夢」のお話。ちゃんと着地させるので、しばしお付き合いを。
記憶にもないけれど
少し前、部屋の掃除をしていたら、幼稚園を卒園するときに書いた文集が出てきた。文集といっても、将来の夢をつたない字で書いただけの、簡単なものだ。
ちなみにわたしが幼稚園卒園する時点での夢は、「ケーキ屋さん」だったらしい。「ケーキやさん」。カタカナとひらがなで、たどたどしく書いてある。
男の子は「当時流行っていた戦隊もののヒーロー」で、女の子はだいたい「ケーキ屋さん」か「お花屋さん」の2択である。
その横に、理由。達筆具合からするとおそらくここは先生の代筆で、例えば戦隊もののヒーローなら「格好良いから」だったり「悪者をやっつけたいから」だったりと、その夢に憧れる理由がワンフレーズで書かれていた。
ともすれば、ケーキ屋さんなんていうものになりたい女の子の気持ちはほとんど同じで、「可愛いから」だとか「美味しいものが毎日食べられるから」だとか、結局はそんなところ。
そんななか、わたしが答えたのは「みんなに美味しいものを食べて、笑ってほしいから」という、幼稚園児の子どもがいてもおかしくないくらいの年齢になった今のわたしからすれば、「なんて良い子なの!」と思わず涙ぐんでしまいたくなる模範的回答であった。
そう、模範的。
思えばこのときからすでに、わたしの"苦しさ"ははじまっていたのかもしれない。
とりあえず誰もが通る道を…
結論から言えば、ケーキ屋さんになりたいという願いはそう長く続かなかった。そもそもケーキ自体、あまり好きでなかったように思う。
つい先日まで家族も知らなかったことだが、まずわたしは生クリームが苦手だ。タルト系はまだいい。でも生クリームだけは駄目。食べると気持ちが悪くなる。
でも、小さいころのケーキというのは誕生日や記念日などのめでたい日のためにあるものだったので、なんとこの歳になるまで言いだせずにいたのだ。お祝いムードを、わたしの一言で壊したくなかった。むしろ今となっては「あれ? 言ってなかったっけ?」ぐらいのものであるが。
その次に夢見たのは、おそらくほとんどの女子が通る道。
わたしは小1のころ、セーラームーンになりたかった。
母は裁縫が得意だったので、わたしのためにセーラームーンの服を作ってくれた。同じ髪型にしたくて、髪の毛は絶対に切らせなかった。ポージングなら誰にも負けない自信があった。
でもそんな努力むなしく、なぜか突如現れた「マイク屋さん」という夢に軽々と追い越されていったのだ。ほんの一時の儚い夢であった。
バイクに押しつぶされてマイク屋さん
かつてわたしの家のまわりには、たくさん同年代の子たちがいた。今もなお連絡を取り続けているのはほんの2人程度だが、当時はざっと見積もっても6〜8人ぐらいはいたように記憶している。
学校から帰ったらすぐランドセルを玄関先に放り投げて、友達と遊ぶのが日課だった。
そんなある日、かくれ鬼をしようということになり、わたしは隠れ場所を探していた。家のすぐ横、壁際にバイクが置いてある。
ここだ。直感的にそう思った。ここしかない。体の小さいわたしなら見つからないだろう。横にうずくまって、外から見えないようにするのだ。動きさえしなければ大丈夫。もし見つかってしまっても、逃げればいいだけの話だ。
息をひそめること数分、ものの見事に見つかった。そりゃあそうだ。いくらバイクの横に身を隠したところで、逆側から見られたらそこにはしゃがみ込んでいるわたしがいるだけなのだから。
そうして思わず逃げようと立ち上がり、駆けだした瞬間だった。バイクのハンドルに、肩が触れた。大きな車体が次第に傾ぎ、あっと気付いたときには遅かった。
わたしは倒れてきたバイクの下敷きになっていた。
痛かったのか、それともショックだったのか。わたしは泣いた。友達3人がかり(正確な数は記憶していない)で助けてくれたが、それでも泣いた。
それからだ。
わたしがセーラームーンの道を諦め、マイク屋さんになると言いだしたのは。正直、今でもこの因果関係はわからない。
ただひとつ言えること。それは右向け右! で実に(良い意味でも悪い意味でも)日本人らしく成長していたわたしにとって、この突拍子もない考えは非常に謎で、まさに"ありえない"ことだったということだ。
もちろん、それはほんの一瞬夢見た「傘の修理屋さん」という発想にも言える。
ついに夢を見る
それまでも本気といえば本気だったが、それに対してなにかアクションを起こすほどの熱量はなかった。セーラームーンに関しては割と本気だったが、服を作ったのは母だし、髪の毛はただ伸びるのが遅い質だったので切らなくても邪魔にならなかったというだけのことだ。
そんなわたしが本気でなにかを目指そうと思ったのは、小4のときである。
ふと、「漫画家になりたい」。そう思った。
お小遣いを貯めて画材道具を買ったり、その使い方を練習したり、背景本をそろえたり、同級生と漫画で絵日記交換をしたり、なかなか真剣だったのではないかと思う。
この夢は、中3のときまで続いた。けっこう本気だった。
今でも当時なけなしのお金で集めていた画材道具の残りや本は捨てられず、家に取ってある。
でも、中1のころからわたしは自分の夢を語れなくなった。あるとき、教室で「漫画家になりたい」と友達に打ち明けているのを聞いた男子がわたしのことを馬鹿にしたからだ。
わたしは彼からすると、「根暗」だったらしい。漫画について熱く語るわたしは「オタク」で、「気持ち悪くて」、「無理」なのだと言っていた。
今なら言える。
たとえ根暗で、オタクで、気持ち悪くて、無理だったとしてもいいじゃないか。最初の2つは的を射ているけれど、海外留学も就職もできる。たぶん、ほかの人よりだいぶ自由な人生を送っている。なにも悪いことではない。加えて、後半2つは思いきり主観だ。
ただこれは大人になってそれなりに経験を積んできた今だからこそ言えることであって、思春期真っ只中のわたしにとってはまさに死活問題だった。
わたしは自分の意思(意志)を伝えることをやめた。人前で恥ずかしい思いをしたくなかった。
(それなのに部活の部長になって大事件に巻き込まれたのはまた別のお話)
幼稚園児のころ漠然と感じていた、当たり障りなく模範的でいようという息苦しさが、また戻ってきたのを自覚した。
夢がない人生なんて
Twitterを覗くと、夢や希望を語る人たちであふれている。そこではわたしは明るい自分でいたいので、失敗談やつらい現状を語るにしても、自らの意思でなるべく愚痴は吐かないようにしている。
(稀に弱音を吐くことはある)
夢はなければいけないのか? そもそも夢ってなんだ?
わたしの実生活にかかわりがある友達のなかで、夢を語る人は少ない。でもそれを寂しいとは思わない。なぜなら彼ら自身がそれで満足しているからだ。
それを「夢はないの?」「今後やりたいことは?」などと、まるで就活の面接のように第三者がとやかく言うべきではない(と、思う)。
夢はあったら楽しいが、なくても楽しく生きていける。
また少し話は戻るが、模範的な人間でいることをやめたのは間違いなく海外留学がきっかけである。世界は広かった。
夢がなくてもしあわせそうにしている人たちがそこにいた。夢とは"将来なりたいもの"に限った話でないことを知った。調子に乗ってイラストを描いたら喜んでくれる人たちがいた。中学生のころ「根暗」だと嗤われた漫画趣味に興味を持ってくれるどころか、「日本生まれでいいな! 素敵な文化よね!」と羨んでくれる人すらいた。
わたしが何年間も気にしていたことは、海外に出てみればむしろ誇れることだったのだ。
それは一種のターニングポイントだった。
夢がない人生なんて。そんなことはない。なにもないように感じるときだって、生きているだけでしあわせ。原因不明のめまいと戦っているなかだってそう思う。
夢は形を変える
生まれてからずっと、同じ夢を抱えて生きている人なんてほとんどいないだろう。
経験や環境により、夢は簡単に変わる。ときに、あっけなく消えてしまうことすらある。
でもそれを嘆くべきではない。
夢はいつだって、形を変えていくものだからだ。突然姿を消したと思えば、ふとした拍子に顔を覗かせたりして、その神出鬼没さがまた面白い。
熱烈にやりたいことがあって、そこに計り知れない情熱を注げる人は尊敬に値するが、だからといって夢を語らない人を下に見るべきでない。
平凡な生活。
つまりは、生きていけるだけの収入があって、面倒くさいと思いながらも通える会社があって、たまに友達とお茶や飲み会で盛り上がって、二日酔いでぐったりして。(いまや会社がすべてを保障してくれる時代ではないというのはまた別の話)
そんなささいな日常が夢だった人だっているはずなのだ。
わたしは何にだってなれる
長くなってしまったが、最後に。
わたしには夢がある。目標ではない、夢だ。今の現状(めまい)を考えると、もしかしたら努力したところで叶わないかもしれないから、現時点ではあえて夢としておきたい。
こればかりは頑張り次第、気合い次第でどうにかなることではないからだ。
でも、諦めてはいない。
海外旅行をすること、また海外で暮らすこと、それから世界一周をすること。なかには「アラサーでまだそんなこと言ってんの?」と嗤う人もいるかもしれない。
だけどわたしは知ったのだ。知ってしまったのだ。
40歳を過ぎてから、また大学に入り直して新しい学問に取り組む人たちの世界を。「人間誰だって、今が一番若いのよ!」と快活に笑う人たちの世界を。
だからわたしは、どれだけ時間がかかろうとも、この先苦労が続くとしても、自由な選択をしていきたい。
わたしは何にだってなれるのだ。
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