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【1人の声はみんなの明日⑤】困っている人の声をひろう「こどもになる」~自分にとって心地のよい選択~


■最初に


こんにちは!サイボウズのもっちーです😊

ユニバーサルレストランを舞台にした放課後デイサービスや、
まるでソーシャルワークのような保育を実践している、
「こどもになる」のさっちゃんにお話しを聞いてきました。

前回は、人と一緒につくっていくお話しでした。
今回は、自分にとって心地のよい選択についてのお話しです!

▼以前の記事
原点の保育
こどもになるの活動から
枠組みをはずす
人と一緒に作っていく


〜一般社団法人こどもになる〜
Webサイト:https://sana-hoiku.com/
Youtube:https://www.youtube.com/channel/UCUo-ARGbmXfZV11-dDN7itw/featured
note:https://note.com/kodomoninaru
放課後デイサービス(ルクッカー)・ユニバーサルレストラン(ル・クル・ド・マリアージュ)などのルクログループ:https://fooding.co.jp/



瀧幸子さん(さっちゃん)


■自分にとって心地のよい選択


〇たった1人でも自分を信じてくれる人


全然福祉も特別なものなんかじゃないんですけど、
みんな仲良くとか、価値観が全員違ってみんな違ってみんないいんだよ。
っていう言葉はあるけれど、
結構どれもしんどいなっていうこともすごく思うんですよね。

でも、たった1人でも自分を信じきってくれる人、
自分以上に、自分を信じてくれる人、そういう人がいたら大丈夫
なんじゃないかなっていうのは、多分自分の経験からもありました。


私はもともと、サッカーをしてきたのですが、
サッカーを始めるきっかけも、
小学校の1年生の時からいじめにあうんですよね。


集団登校で、ど田舎でですよ。
私は、ちょっと家が離れていたのですが、
ずっと連れていってもらえなくて、
何がどうしてなのかわかんないですけど、
ちょっとおとなしい子だったので、
もの言わないとかなんかあったんでしょうね。


そんな、いろんなことがあって、
だいたいそれをしてくるのが女の子ばっかりだったんです。
なので、あーもう女の子やだ。やめたと思って、
髪の毛を短くしてスカートは履きません宣言して、
男の子になろうっていうぶっ飛んだ発想から、
休憩時間になると、男の子たちがサッカーしようって言ってくれるから、
やっているとどんどんうまくなって、足も早くなっていました。

そうしたら
だんだん心も体もそっちの方が楽しいので、
のめり込む
わけですよ。

私は本当にあだ名が少年だったので、
だからみんなで仲良くしようっていうのは無理だったんですよ。


だけど、私は自分と一緒にサッカーしようって言ってくれる子たちや、
必要としてくれる人たちといるのが、
たまたま男の子が多かったんですけど、
それが心地良かったっていうのがあって、
当時は、女性でサッカーを本気でやっている人はマイノリティだったのですが、サッカーをやってみて、憧れという気持ちが、すごく人を動かすんだなっていうのも経験しました。

私が、サッカーがうまくなったもんだから、
やっぱり試合とかでも女の子の中でも、憧れる子が出てきたり、
かっこいいって言ってくれる人が出てきたりもしました。

自分の選択で、
それも自分の心地いい方を選択して生きていったらそんなにストレスってたまらなかったっていうことを経験しました。


〇自分の選択で心地よい選択をして生きるには?


自分が心地よい選択をして生きていくためにはどうしたらいいのか聞いてみました。


なんかちょっとアホになるというか、
私たちが通ってきたところの、思い込みとかバイアスをはずす
といいんじゃないかなと思っています。

バイアスをはずせる大人が増えたらしめたもんだなって思うので、
私はとにかく、みんなで一緒にっていうのがすごく無理でしたので、
だから今、無理な子たちの気持ちはすごくわかります


そういえば、福祉って支援って言いますけど、
支援っていう言葉もちょっと私はよくわかんなくなってきていて、
応援し合っていったらいいんじゃないかなって、思いがあります。

私の育ったところは、ど田舎だったので、
支援と呼ばれることを、勝手にやっていたんですよね。


今ある制度みたいなものを、子どものころのいじめも、
私が少年みたいに生まれ変わってからは、そういう私として受け入れてくれていました。

すごく狭い地域の話ですけど、お母さんが多分言ってくれたんだと思います。
そして、その子達の親が言ってくれたのか、
お手紙をよくもらうようになって、さっちゃん今までごめんね。っていう内容の・・。

住んでいる地域の単位がちっちゃかったから、
やられるときもすごかったけど、
分かり合ったらその時の団結力もすごくて、気がついたら私は仲間に入れてもらえるようになっていました。

近所の家の人たちは農家も多かったので、
野菜取ったら自分とこだけじゃないんですよ。
絶対に持ってきてくれて、ご飯食べたって言ってるのに、
いっぱい作ったから食べに来いとか連れていかれたり、
今、子ども食堂とかなんとかやっているようなことも、
ただただ生活の中に当たり前
にあって、本当になんかそうなんですよ。

私は18歳で大阪に来てからは、そんなことは別に考えずに普通に生活していたんですけど、でもこうやって保育とか福祉っていうのに関わるようになって、
これはわざわざ線でも引いたのかと思うことも多いなって感じます。
線引きすることで、あまりにも責任論というか、
誰の責任だみたいになっているような気がしてしまいます。


それって、実は子育てには一番いらないのに、
やっぱり子育ては、なぜかお母さんの責任になっているから、
しんどいんだろうなと思っています。


だから、子育てもお母さんの責任のような、
バイアスを外すこと、色んなバイアスを外してみて、
安心できる環境に身を置けると、
心地のよい選択が自然とできてくるのではないかと思います。


■最後に


最後までありがとうございます!

子育てには一番いらないのは、責任論だという言葉がよいですね。
母だからしなければならないなど、自分で自分を、または周囲から追い込まれがちですものね。
でも、今は保育園の送りは7割は父親がしているという統計もあるようで、
本当は母や父だけにこだわる必要はないけれど、少しずつ変化もありますね。

次回は、「こどもになる」の最終回「1人の声がみんなの明日に」なるお話しです
次回も見てもらえると嬉しいです😊