第23話 ✴︎ 「 不納得を納得に変える旅」By"イーディ/InnocenceDefine”✴︎2023✴︎
”ひとかどアーカイヴ”としてはほぼ1年ぶりの投稿を作家のくせに他の人の言葉の引用で始めて申し訳ないが今日言いたい「不納得を納得に変える旅」というのは140文字以内で呟くとまあ↑こういうことである。
そして現在、イーディの女主人わたくしがどのようなステージにいるかというと2023年11月21日現在コレ↓である。
2023年11月に自身のマネジメントとプロモーションをプロに託そうという境地に至るには非常に長い2023のRunがあったわけであり、それは過酷なRunであり必死であったので、毎月更新したいと考えていた「ひとかどアーカイヴ」も全く更新できずに今日を迎えたわけだ。それでわたしの文章を気に入って「すべてのマガジン」で読んでくれている人とこの酒場日記「ひとかどアーカイヴ」が好きでそれを読んでくれている人とは別にいると思っているので、ここに何かを書くときは「月モカ」などで近況は読んでいないという前提で書くので今、非常に久しぶりに筆を握っている気分で書いている。
なので親しい人からすると重複する内容かも知れんが、イーディ女主人の中島桃果子は「限界まで努力をし」2020年から2023年まで、ボツになった作品を含めて長編を4作書き、絶筆のブランクをまず感覚的に埋め、その後は前進、毎度前作を上回る”納得”の作品を書き上げたが、2023年8月末に、
自身がデビューした時の賞よりも小さな規模の文学賞の下読みでその史上最高傑作が落選したため「文壇はもういいな」と納得し(冒頭の引用をご覧ください、死ぬ気で限界までやったら恨みとかは生まれないんだ)9月以降すべてのSNSで自分を「半隠遁」そして「路地裏の文豪」と呼んでいた。
しかしそれは「もう自分が納得する最高傑作を書いたので」「しかしそれが下読みで落とされるような文壇と交点がないと思う」し「一度落ちたという理由で192を他の文学賞に出すこともできない規定になってるのも全然納得できない」(いや下読み側の”手間省きたい気持ち”はわかってるんだが)
そしてそもそも「文学は普遍的なものなので次々書かなくてはいけないことには納得できない」から、
もう当面新作は書かない→当面新作を書かないというのは半隠遁みたいなものだなと思いそう書いていたけど、その時からその代わりに「既存の作品を全力で売るフェーズに入る」という意思には当初から変わりはなかった。
しかし先の固定ツイートは「今からバリバリと頑張って世に作品と名を売ります!!」という方向のものなので「???言ってたことと違うくない?」と思う人がいるなと思い——すでにワタセミには「あんなデカデカ”通販生活”に載っておいてどこが隠遁だ?」と突っ込まれた——ちょっと噛み砕いた記事をまず「月モカ」に書こうと思った。
しかしその経緯を書こうとするとちょっと「熱くなってしまい絶対長くなるから」プロフの下にツリーにするnote記事には向かないので、
今一旦「ひとかどアーカイヴ」で想いを綴ってから、来週あたりの「月モカ」で短く語ろうという魂胆。
(以下、マジ長いので暇なお方、暇なときに読んでください。しかもめっちゃタイムリーに「お金について考える」というコンテストがあったので、これわたしのために用意されたタグではと思い参戦。笑)
まず2023年が11月までどういった数ヶ月だったかというと、
<1月>
年明け早々、事業再構築補助金に採択されていた予算のうちの数百万が予算として認められないことが発覚、これは中小企業診断士と名乗るプロと組んでから発足したプロジェクトだったので全面的にそのプロの落ち度——現金支払いが認められないなんてプロやったら校閲が誤植探すよりも簡単にわかるやんけ最初の支払いの前に言えよ、コロナ禍の個人事業主は皆現金が良かったんやから言ってくれなかったら全部現金支払いになるのです——非情な理不尽を感じたが「引き際が肝心」と思い、入ってくるはずの250万を断念、これは今年度のイーディの予定を大きく狂わせた。
(詳細エッセイはこれ↓)
路地裏の小さな飲食店にとって250万て相当デカいので、当然2月以降毎月死ぬ気で限界突破していくことになり「今」しか見れなくなったわたしは「アーカイヴ記事」をかくゆとりもなくなった。
<2月>
そんな中で神保町の共同書店PASSAGEさんとの素敵な出会いがあり、
アマゾンで売るよりここに棚を持つことを選ぶ。素敵な箱でコラボができたらよきだなと思い、そのコラボはトントン拍子にまとまって、栞珈琲at Bis!の第一弾のコラボが4月〜7月までコンスタントに行われた。
素敵な企画だったが数字を生めなかったため、7月で一旦終了することに。
<3月>
2022年7月〜2023年6月くらいまでというのは本当に飲み屋に人が戻ってきていなかった(2023年11月現在戻ってきたことを感じているがゆえ、あの頃のあれは努力不足ではなかったんだと確信している)ため、3月の売り上げが長年飲食店で働き4年は経営もしていて見たこともない肌感と数字になり戦慄を感じる。
そのため3/31の深夜(4/1)に迎えるの自身のバースデーで売り上げを出そうと思ったが、なんというか(全然そんな雰囲気じゃねえよな今)という感覚に逆らえず、逆らえぬまま3/27に肺炎になり、必然的にバースデーイベントは見送られた。
<4月>
3度目の肺炎にかかり自宅療養を余儀なくされたわたしは黙って寝て・・・・いなかった。たった10日で原稿用紙200枚分の長編を書き上げた。それが未冠で未刊の最新作「K・ブランシェット192」
年始に入るはずの250万を失い、2022年7月から2023年3月までに持っていたお金250万を失い、つまり500万がゼロになった女小説家はかつて大きな賞を獲ってデビューしていても出版ができぬ今、プライドを捨て、新たな”新人”賞に応募する。(十冊も出してるし新人じゃない!って思うけど。納得できないがそれしか稼ぐ方法がない)
自身で美しい本を作ることもできるけれど、今必要なものは「美しい本」ではなく賞金であり、稿料である。15年以上作家やってるがほぼ10日で200枚書いたのは史上初であった。しかもランナーズハイによりトリプルアクセルを飛んだ。マジで自分を讃えたい。
そんな気分のままハイに走り抜けたかったが、4月の半ばに親しい友人が突然亡くなった。イーディの常連でもあったため打ちのめされて店を開ける気力もなくなり当面は明かりつけて外はCLOSEにして常連しか入れないようにして営業した。母には「それ商売ちゃうやん、同好会やん」と言われたが(その通り)外の看板をOPENにする気力がない。
なので数字が上がるはずもない。
<5月>
どうだろう、GWあたりからは人がもう外に出るんじゃないか!?
全力でやっていこう、そんな感じで栞が毎日店を開けてくれて「5月のタンドリー」なんていうキャッチーなフレーズを据え、去年人気だったマヤウーラップサンドを限定数食で販売などした。雰囲気は全体的にいい感じだったけど今年のGWはハズレ。思ったほど谷根千は人で賑わっていなかった。もしくは賑わっていたとしてもウチには来なかった(笑)
このあたりからピアニストの上山くんと一緒にわたしの悲願であった軒先ピアノを始める。こういうのは最初が肝心なのでコンスタントに打ち続けてようやく興味を持った人たちがSNSなどを見てきてくれるようになったある日、匿名で通報された。ピアノはGO-KEYで小さな電子ピアノで音量も警察の人に気の毒がられるほどのボリュームだったのでこの通報は明らかに近所の人。非常に悔しく残念な想いだが、近所で嫌な思いをしている人がいるならちょっと続けてはいけないねと上山くんと相談の結果、軒先ピアノは中止。
<6月>
いよいよマジで負債というか赤字が凄いので(店の銀行の残高が3桁になった。万じゃない数百円!)何がなんでもここから折り返していかねばと4周年に賭け、店舗スケジュールを一新「Any time Everyting」をキャッチに週末の通し営業を大きく打ち出し、同じ一人の人が「遅めランチ」「ちょい珈琲」「リモートワーク」「晩飯」「Bar
time」と用途を分けて5回くらい来れる店であることを打ち出す。
(ずっとそうだったが周知してなかったから)
そして6月から「今日のイーディ」を必ずインスタストーリーとTwitter(X)に固定するようにした。こういうのってどれくらい意味あるのかな?
手応えってすぐはわからないって思いながらわたし実はコツコツタイプなのでひたすらそれを続ける。そして2023年現在この6月からのコツコツが今の集客に繋がっていると感じている。
<7月>
7月には「栞珈琲at Bis!」を一旦おしまいにするという決断と、
こちらも自分の3年越しの悲願であった「晩飯健人」というイベントを発起するというエネルギーの要るひと月であったが、今でもBis!のあの「引き際」の見定めは英断だったと思う。早く決断することが前よりできるようになっていてその決断はそれがどれだけ断腸の想いか知らない人にはドライで残酷で気まぐれに見えるのだけど実は逆。PASSAGEのオーナーのユイさんのことが大好きだから擦り傷程度のところで引く決意をした。1月の事業再構築補助金の件みたいな景色までいくと「絶縁」しかなくなる。英断が前より早くできるようになり、逆に誤解されることも増えた。ゆえに今日冒頭に佐藤さんのあのつぶやきを引用している。
7月は栞珈琲の3周年でもありましたがこれはまた月ごとのアーカイヴで!(書く予定してる12ヶ月分)
数字はどうかと言えば上がらなかったんだけども、自分が「通販生活」に出ることになりまさかの小説家収入があったため、自身の報酬を店からとるのを半額減らしてこの月は凌ぐ。この辺りでも「飲食だけではダメだ、中島桃果子収入もないと」という感覚が強まる。
この号に登場したことで「左巻きの女主人」のイメージ強くなりましたが、うちは右も左もみんな一緒に仲良く飲める店だよ。
<8月>
あまりにも鮮やかにトリプルアクセル飛べたので「これは賞を獲るんでない?」と思っていたK192が下読みすらおそらく通過してなかったことが8月末の受賞者発表でわかる。おいおいマジかよ。しかしもはや悔いなどない。悔いはないがこんなに素晴らしい作品が「透明」だったのだ。もう二度と賞には出さない。そっちの土は二度と踏まない。そう決めてSNSのプロフなどを全部「路地裏の文豪」に変えた。(現在、プロフェッショナル”M”と組んでの活動がスタートしたんで「路地裏の文豪」ではもうわかりにくすぎるから普通に小説家に戻してる)
(その頃の気持ち↑)
この時の感情が「とにかく既存の作品とわたし自身と店を売りまくってやろう」という決意につながる。最高傑作はもう今書いた。今年これを塗り替える作品を書く必要はない。それが下読みで落ちた。そこは納得してる。
でもそもそも過去に10冊以上素敵な作品を刊行してきた、2022年には新刊も刊行した。また作家として注目してもらうには「それらを全部置き去りにしてこのトリプルアクセルよりすごい作品を”また新しく”書かねばならん」てことには納得してない。そもそも文学って遺されまた掘り返されるもんじゃないか、そのために古書店とかあるんじゃないか。
その不納得を納得へ変える旅。
冒頭の呟きを引用すると「書くこと」に関してはもうこの15年「限界まで努力した」でも「売るってなったら」どうだろう? かつては常に仕事があったので締め切りが終わると、刊行が終わると常に次の作品に取り掛からねばならなかったから、書いたものを全力で売ったことってあったかな?
それは限界まで努力したことないんじゃない?
その気持ちがわたしを「M」と組ませた。
お店の雰囲気。うん雰囲気は6月の改革から徐々にいい感じに上がってきている。自分たちの頑張りもあるが、ともかく祭りや花火大会などが4年ぶりに開催されて、街に人が戻ってきた、そんな感じ。
いい感じだが売り上げはまだ今一歩。2022年の3月のような気絶するような数字ではないが、良くもない。
<9月>
レディオイーディNezuU🌈の2周年を目前にシーズン2は最終回。
(現在は3rdシーズンに向けて前向きに動いているところ)
そしてこの月にわたしの3年越しの悲願であった「晩飯健人」が中止を余儀なくされる事件あって、9月はわたしの思い描いていた9月とは全然違うものになった。解決までひと月を要した、そのことも全くの想定外で、その想定外のひと月がわたしのダメージに追い打ちをかける。
困難があり立ち上がり、また困難があり立ち上がる。
それを繰り返してるけど結構キツイぜ。そう思って割と打ちひしがれた、のは10月で、9月は渦中にいたので打ちひしがれる余裕もなかったそれが事実。
<10月>
一瞬で終わりすぎて何も覚えていない。
(大きな苦難に直面すると人はこうなる)
<11月>
そして今月も20日を迎えて実は今日は「がんこエッセイ」の締め切りで、
こんなに長々「ひとかどアーカイヴ」を書くよりがんこエッセイを書かねばならんが、まずここでこの11ヶ月を整理せねば敏腕マネジメント aka プロフェッショナル「M」とのことも、がんこエッセイ12月号も、もはやどこにメンションして書けば良いかわからんから、まずはこちらを。
そうそう10月にはタフラが隣に引っ越してきたんだったねえ。
(そうだなタフラ日本語全く話せないから会話全部英語で、あと10月からインバウンドの方が急増したのですごい勢いで英語喋ってる、だいぶ感覚戻ってきた/が/わたしはペラペラではない)
そして8月にはマヤウーが素敵な看板を描いてくれたんだった。
不納得を納得へ変える旅。
また冒頭の呟きの引用に戻るけど「限界までやってみたり」「とりあえずすべての選択肢を全部試してみたり」する人って意外と他者に「納得させてもらう」ことを求めないのではないかな。
もちろん「納得のいく説明を!」って感じのこと、いっぱい起きる。
むしろそれしか起こってないような気もする。
でも実は自分を納得させてくれる人それは自分自身しかいない。
書き忘れていたんだけど、わたしの不納得VOL.2ね、お店をこの半年死に物狂いでやってきて、いやこの「ひとかどアーカイヴ」を頭から読んでもらえばこの4年半死に物狂いでやってきたのはきっと伝わるんだけどね、なぜこんなに限界突破の努力を毎日していて毎月赤字なの!?こんなにいい感じになってみんな楽しんでくれて、こんなに週末混んでて、なんで赤字なの!?って飲食店というものの業種の限界を感じることもあるし、それを業種で片付けるのも自分は「納得できない」わけなのよ。
また自分は、執筆や、通販生活だけじゃなくても他の雑誌にも出たりもしてきたから作家業や媒体に載る仕事が楽して儲かるかと言えば全然そうではないのを知っている。エロラノベを書いていた時、週刊ポストの巻頭グラビア対談の仕事があったが、わたし以外の著者は皆、パートナーがいたので顔出しできなかったり色々あったから、ライターさんの配慮により過激な発言は全部恋人がいないわたしが発言した雰囲気の記事になり、また、読んでる人はエロ作家のエロい発言を求めているが著者さんは文学としてそれを書いているギャップあるので、そこは水商売に慣れている自分がキャッチーな記事にすべくリップサービスで奮闘した。
(それを「ニーズに合わせて変化できるんやな」と褒めて自身の会社の朝礼で宣伝してくれた父親をまじ尊敬します)
が、いや、なかなかに町酒場の経営というものは本当に手元に残らぬキツイ仕事だ。これが小売というやつかとか思う。
(職種的に言うとデビューしたての新人の頃でも自分の報酬は原稿用紙1枚あたり3000円はあって/15年前の相場ですのでもう言っていいでしょう今は知らない/わたしは短編とか一気に書くタイプだったのでぐるっと寝ないで頑張って30枚書けば日給がそれになる、が手取りー純利ーがそうなることは町酒場ではどんだけ混んでも経費があるからありえない)
でもだからってわかりやすく人件費削るのは違う、
他の飲食店でうまくいってるところ見つけて真似するのも違う(わたしが作りたい店の形と大体構造が全然違うからそういうところは)ターゲットを富裕層に絞って支払い主義の店作るのも違う(最終それはほとんどの場合、こっちがそうでなくても色恋になっちゃうかヒエラルキー構図になる/つまりホステス色な店になる/色々割愛しました行間読んでくださいませ)。
つまりこの文章みて「やり方が悪い」と思っている人いるだろうけど、その人が思う「いいやり方」は多分わたしが納得できるやり方ではない。
わたしは「わたしのやりがい」と「利益」両輪でいきたいんだわ。
あと人数は少ないけどカルト的人気が作家としてあるので、ファンの人が来た時に(来てくれるのです遠方から、そんな時に他のお客さんに色恋接客してたり金にかこつけて横柄な人にヘコヘコしてるようなカリスマだったらもう幻滅しちゃうやん)悲しい思いをする店づくりは絶対避けたい。あとシェアキッチンにするとか二階を人に貸すとか事業に振るめいたことも選択肢色々あるんやけど基本的にはもう全部軽くテスト運行はして結論出てる。
儲かるやり方はわたしにはつまらないんだわ。他人はわたしじゃないからさ、周りの人がわたしにどれだけいいアドバイスくれてもわたしはそれじゃ「納得できない」わけ。だからきっと「納得」というものは外に求めるものではなく、自身の中で生むものなのだろうな。
言葉の意味はそうなんだけど、肚落ちするのは自分の肚なので、自分の外側で起こっていることや他者の評価を、自身のそれと交差させて自身の内側に納めなくてはならない。その過程こそ自分自身だけのもので、そこに「旅」がある。不納得を納得に変える旅。
若い頃から働きものだった。「裕福な家の娘でニート」みたいに勝手に他人に思われたこともあったけどそれは間違いで、両親がとても働き者だったから当然稼いでおられましたが、わたしもとても働き者だった。デビューするちょっと前とかは週7で働いていた。女優になりたいとか夢がある人はそちらに専念するために楽な働き方やバイトを選ぶ人が多くいたけどわたしはそうしなかった。全力で働いてその合間に2週間だけ芋洗坂のスナックをゆるゆるのシフトにしてもらいデビュー作「蝶番」を一気に書いた。
その店にはまず店で人気があって、あと女優としてもわたしよりは全然仕事があって、でもいつも確信犯で2時間とか遅刻してくる先輩がいた。撮影に遅れて許されるレベルの女優じゃないから撮影には遅刻しないんだろうなと思った。だけどその頃わたしは接客が下手だったから、魅力もなくて、時間通りに来ていても「その人が来るまでの繋ぎ」に過ぎなかった。器用さゆえに水商売をナメているその人が嫌いだった。だから誓った。1日も休まないでこの人より有名になってやろうと。「蝶番」が大きな賞を獲って、わたしは女優ではなくなったが小説家になり、その人よりも名前は売れた。でもその時にはもう「出し抜いてやりたい」と思っていた気持ちはどうでもよくなってしまっていたので「ざまあ」とかも思わなくなっていた。
そういうものなのだ♩本当にわかる時、感動はどうでもいいのだ
(byドレスコーズの”しんせい”)
「K192」もそうだ。切羽詰まって一気に書く小説はいい。「戻れない」「書き直せない」という圧力の中で疾走する高速道路のような勢いがある。
店を始めてからも働き者だった。きつかったがズルもしなかった。
作家として仕事があった頃はどこへ行くにもタクシーに乗っていた自分だが、店を始めて給料15万になった頃は最初の肺炎から復活したばかりで体も良くなかったけど毎日始発で、時には根津から神楽坂まで歩いて帰っていた。網戸すらも買うお金がなかったから800円の網戸シートを買って自分で押しピンで張った。そのような誰も見ていない地味な日々が次の人生を作ると信じてきた。沈思黙考をしながら辛抱強く日々を繰り返し、自分に背くことなく働く。これをきちんと続けば必ず豊かになる。開業して1年後網戸の工事が1万5000円と聞いて(安いな)と思った時嬉しかった。
それが今、経済的には豊かじゃない。また網戸買えなくなった(笑/ 網戸はもうあるから大丈夫やけど)
人生は今までで一番幸せなんだが人生で一番お金がない。
それには納得できない。幸せやから貧乏でもいいとかは思いたくない。だってわたしは働き者だから。努力は裏切らないはずだと思いたい。
無駄な努力でなく的確な努力をしてきたはずなので余計そう思う。
直感的にわかっていることがあって、それは今「あともう少しのところまで来ている」ということ。ここでへこたれる人が9割だと思うから、
でもここでへこたれるから「必ずしも努力が実を結ぶとは限らない」って人は思う。現状「必ずしも努力が実を結ぶとは限らない」ことしか起きてないが、ここで辞めたら全部が台無しになってしまう。わたしがコツコツコロナ禍に書き続けた何千枚に及ぶ原稿、毎週収録して配信し続けたレディオも、
ようやく自力で刊行した10年ぶりの単行本も。
今、ここで根をあげたら全部終わる。
絶対に今「ココ」が踏ん張りどころ。
そう思う。なので「M」に頼んだ。
退路を断って無理やり前に進むからこそ、本当にわたしという人間と作品と店に「本気で価値を感じてくれている」人と組みたい。
じゃないと退路を断つ意味がない。曖昧な相手と組むと逃げの一手になる。
そして、いた。
この出会いこそがわたしにとっての最大の幸運なのだと思う。
わたしのロイヤルストレートフラッシュ。
この幸運を抱きしめて前を向けば後ろを振り返る必要はない。
(定期的にアーカイヴはするが笑)
これは不納得を納得に変える最後の旅。
この旅が終わるとき、きっと全てが納得に変わる。
そう考えると「不納得」は大いなるガソリンであり、
わたしの最大の、資源だ。
みなさまここまで長々読んでくださりありがとう!
ここでこんだけ書いたから「がんこエッセイ」と「月モカ」はコンパクトに要点まとめてエッジの効いたエッセイに仕上げられると思います!笑
2023.11.21/第23話「不納得を納得に変える旅」by ひとかどアーカイヴ