月曜モカ子の私的モチーフvol.248「いま、黎明のとき✨/わたしと壷井さんから始まる新しい出版文化の夜明け」
6月1日水曜。我がお店イーディこと”Innocence Define”の3周年の日、
中島桃果子、十年ぶりの単行本「宵巴里」のビジュアルが公開された。
わたしと壷井さんから始まる新しい出版文化の幕開き。である。
FBの小説家ページでは”いの一番に”お知らせしたが、noteでは今日が初お披露目となる。大変不思議なことに、イーディの3周年に最初の祝辞を下さったのは、亀和田武さんであった。
(亀和田武さんとはこのようなお方です、43歳の自分は実はお会いするまで存じ上げませんでしたが、今50代〜60代の方達にとってはかなりの文化人でらっしゃいます。特に男性のファンが多い感じだな)
亀和田さんは先日ご来店により初対面を果たしたわけなのですが、
(気難しいレジェンド来たらどうしようと思ってカタカタ震えておったが、気絶するくらい柔らかで優しいお方で、すっかり一目惚れしてしまいました…….💕 譲さんもそうだけど、長く第一線で活躍される方は皆同じだわ、見習いたい)
その亀和田さんがちょうど周年になる十分ほど前にお店にお電話をくださり、実はその日はうちは周年の準備で臨時休業をしていたんだが、たまたま諸事情により、うちの栞と、たった二十分、店に滞在していたその間にその電話はかかってきたのである。
ただただ根津の近所の酒場としてのイーディから、多少、わが憧れの「銀巴里」的な、文化的なお店への岐路を、あるカルチャーのひと時代を築いた亀和田さんからの祝辞は、祝辞およびバトン、という感じがした。
「そろそろ時代の突端をあなたたちの世代が走ってくださいね🌙」
っていう感じのバトン。
うちの栞は十年前に刊行したわたしの4冊目の単行本「誰かJuneを知らないか」を本屋で買って出版社にファンレターを、その流れで今一緒にお店をやているわけであるが「Juneと言えばZIMA」というこのモチーフも、
今年ZIMAが終売になったとのことで、祇園精舎の鐘の声……って感じの気分、時は流れて行くし「誰June」は「宵巴里」に塗り替えられていく。
いや、心の書庫にはそれらは綺麗に陳列されているのではあるが、前面に押し出されるものは変わってゆく、という話。
それでトイレに貼ってあった、イーディの名前の由来となる「誰June」のポスターも、この夜「宵巴里」のポスターに貼り替えられた。
”ZIMA”を象徴的に扱った映像作品を去年撮っておいてよかった。
終売に間に合った気持ち。
そんなわけで始まった店の周年。
亀和田さんの祝辞で幕が開いただけあって、最初の来訪者は、
「宵巴里」の編集者、壷井円嬢でした。
壷井さんは店に貼られたポスターを眺めて、
「本当にこのような方々が桃果子さんの本づくりに集まって下さって、桃果子さんの肖像をこんな風に描いてくださったって涙がでちゃう」
って言ってたけど、その方々を集めて下さったのはひとえに壷井さんの尽力であり、このチームだからこそ大手出版社から今年刊行されるどの本にも引けを取らない本づくりができたわけで、こちらこそ涙がでちゃうって感じ。
だからこそタイトルが「新しい出版文化の夜明け&幕開き✨🥂✨」なのであって。(その後今のタイトルに変えました・・・)
そしてわたしと壷井さんが大変互いに感慨深く思うのはさ、
わたしたちは13年もの間、著者と編集者として病めるときも健やかなるときも、信頼しあって関わり合い続けてきて、
今ここに新たな夢を抱いて一緒に新刊を刊行するのだという、そういうような互いの関わり合いが生んだ縁の軌跡と奇跡に対して感動しているわけ。
「宵巴里」はきっと現在の出版界に一石を投じる作品になると思うのだけど「一石を投じる」って「あっ、一石投じよう!」って思ってできることじゃない。まず今回の単行本、関わっている全ての人がメジャーの土俵で長く仕事をしてきた方達であることもとても大事で。
もう大手出版社の時代じゃないですなんか新しいことしましょうよ、
っていう自己承認先行のマウント感で礎なく始めた本づくりじゃないことが「一石を投じる」際に、何よりも大事だと自分は思っている。
(出版業界、問題も諸々ありますがその世界で長く頑張った経験がない人が外から勝手にディスるの、すごく嫌なんだ)
わたしは大手出版社ってくくりで考えてなくて文藝春秋は菊池寛だと思っているし、芥川龍之介や直木三十五も、わたしの中では時雨美人伝の登場人物、あの赤城元町の風呂無しアパートに憩ったかつての文学青年たちって思っていて、あの頃の若き情熱に昭和初期という時代が火をつけ、今の出版文化が生まれたと思っていて。その黎明に対しては敬意しかない。
けれども自分がその誰かの作って頂いた文化の中で花咲くことが可能かというと自分もやっぱり開拓が向くタイプの著者なのだろうと、
昨年、自身の最高傑作と思えた作品が太宰賞の1次で落ちた時にそう感じて、
つまりは江國さんが既に「あんた才能あるよ!」って見つけてくれたのに、
そこから13年経って、また誰かに見つけ直してもらうために、しくしくとデビューした時より小規模の文学賞に応募しなくてはいけないとかと考えたら、それは全然自分らしくないって、自分自身に対して怒りを感じた。
お前ダセエよ、ここまで来て誰かのハンコ貰わないと本が出せねえのか、
天才じゃねえのかよ、天才なら人のハンコ要らんやろって感じ。
そんな自分が自分らしいと思えること。
「あ、じゃあもう自分で出版しちゃうわ」
っていうことに全力で賛同し寄り添ってくれた壷井さんがいて、
「宵巴里」は間も無く刊行に至る。
原稿を丸々書き直したわたしも相当過酷だったけど、
(書いても書いてもボツにするんだ壷井さんが)
ことごとくボツにする側の壷井さんも相当過酷だったと思う。
(ボツしてもボツしても”今はそれじゃないんだ!”ってのしか上げてこないんだモカコさんが。…と思っていたでせう。笑)
そこを乗り越えられたのは互いへの信頼しかないので。
あとこの段階に来るまで一度もイーディに来なかった壷井さんの覚悟もいかほどか、と思う。誰よりも身内になのに誰よりも中島桃果子が接する社会の代表であろうとしてくれる壷井さんがいなければこの本はこうはなってないだろう。そこにちょうど独立された装幀デザイナーの松本さんや、
宇野亜喜良氏が絶賛する装画の中村幸子さんなんかが、ものすごい巡り合わせで集結してくれて、あのポスターができた。
松本さんはデザインをあげるまでに数回店に通って、閉店までわたしと酒を飲み「宵巴里の顔はどうあるべきか」真剣に考えを述べてくれ、わたしたちは都度都度深く話し込んだ。そのやり方はまさに昭和初期のチーム三文文士(と呼ばれたのちの高額納税者たち)と同じ。
時代が風の時代になっても、情熱の質量は同じらしい。
「重たい本を作りたいんです」宵巴里は。
一筋縄ではいかない装幀にしたい。
気軽に持ち歩いたり、寝転んだままさらっと読むとかできない本にしたいんです。宵巴里は。
なので薄い紙は使わないです、多分。
写真左、の涼やかな顔で松本さんはそう言った。
そして言われた。
「モカコさんはこの本の出来、自分ではもうわからないんじゃないですか。それって不安ですよね」と。
その通り。今回全力で壷井さんの指摘を反映することに体当たりで全才能を注力した自分は正直自分で書いたものが面白いか面白くないか全然わからない。当たるのか当たらないのかも。
ただ、ここまで追い込んで小説を書いたことが初めてなので、
そこまで自分を追い込んだ、という努力が自分の小説家人生において、
これまで見たことのない新しい景色を見せてくれるのであろうと信じている。ここからがようやくプロの仕事なのかも、とも、思ってる。
わたしは正直今、自分で自分の書いた新作の是非がわからない。
けれどもこの「宵巴里」ビジュアルが、この作品はなかなか凄い場所まで歩いていくんじゃないか、という予感をわたしにくれている。
新しい出版文化の幕開き。の予感。
そのためにはこの本が、結果を出さないといけないんだけども。
本づくりは個人の行為ではなくチームなのだ、と強く実感し、それを何よりも大切にしてきた今回の過程は、素晴らしい結果を得るにふさわしい過程だったと、感じています。
敬愛する長谷川時雨と三上於菟吉、直木三十五と菊池寛。
純文学の没落と大衆文学の台頭の狭間で筆名を失った全ての作家たち。
あなたたちの作ってくれた土の上に甘んじて立ってるだけでなく、
わたしも何かを新しく開拓できる著者でありたいし、
そういう作家人生を送りたいと考えています。
敬意があるからこそ、全力で、塗り替えてゆく。
この風の時代に、才能ある誰もが自分の意思で美しい単行本を刊行できる時代になってゆくように。
そうして作られたそれらが、正しく評価をされてゆくように。
新たな出版文化の幕開き。まだ幕は1センチほどしか上がってない。
ただ、ストーリーは、これから。これから〜。
(「シネマ・シネマ・シネマ」より引用)
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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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