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空たかく。

今はどこにも行けないので、旅行に行けていた頃の写真をよく見ます。


小学生の頃、夏になると学校で「はだしのゲン」や「つしま丸」の映画を観ました。悲しいお話にショックをうけた子や、泣いてる子もいました。


「お母さん。戦争て本当にあったん?はだしのゲンて本当の話?」


嘘であって欲しいと願い、母に聞いた。
「ほんの2、30年前の話よ。」

あんな事が本当にあったのかと思うと、恐ろしくて悲しくて胸が張り裂けそうになった。

「戦争すかん!」
「爺ちゃんも若い頃、戦争で満州へ行ったんよ。生きて帰れたから、お母さんが生まれて、むらさきが生まれたんよ。」


その時に聞いた、知覧の特攻隊のお話がとくに印象的だった。


2年前。ふらっとキリンビールの工場に咲くコスモスを見に行った時、偶然、大刀洗の平和記念館を見つけた。


風にゆれるコスモス
健気で儚い


帰ろうとした矢先、お天気なのに急に大粒の雨が降り出した。傘もお店もなく、慌てて走って駅へ向かう。


行く予定はなかったが、電車の時間まで平和記念館で雨宿りしようと、入ってみた。

本物の零戦


零戦はとても小さな飛行機でした


男性が入ったとは思えない細い幅


こんなの、はなから帰れない作りじゃないかと怒りが込み上げてきた。
たくさんの写真、遺書や軍服、勲章が展示されていた。


特攻隊の人はどんな思いで空たかく飛んだのか。20歳前後の本来なら青春真っ只中の人生で1番楽しい時期に、空に散る運命。


母に宛てた手紙を読んで、涙が止まらなかった。16歳、17歳、、まだ10代じゃないか。80年前、今、私が立っているこの場所に飛行場があった。


大刀洗の飛行場で少年たちは飛行訓練をしていた。無邪気な笑顔で、写っている彼らの姿を見て、心が締め付けられる。


私はなぜこの時代に、ここにいるのか。なぜ生きているのか。なんのために、、深く考える。


今、家族がいて暖かい部屋があり、好きなだけ食べる事ができる。それは当たり前ではなく、とても恵まれた事で、奇跡のような日々なんだと改めて気付く。


生まれた時代が違ったら、、
平和館を出ると、雨がやんで虹が出ていた。

その時の虹。見えるかな

虹を見た瞬間、あ、行こうと思った。そこに行けばこの苦しみや悲しみが何なのか、答えが分かるような気がした。


1ヶ月後。私は鹿児島、知覧へ飛んだ。特攻隊へ想いを馳せて。



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