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利口なふりは意外とバレる

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自分自身からあふれてきた言葉の置き場
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#自分

適材適所という方便

自分がされて嫌なことはしないようにしましょう。 今はどうか知らないが、僕が小学生の時はこの言葉をよく聞いた気がする。 大人になった今の僕はこれを実践できているだろうか。 人にはなるべく優しく、親切に。自分に余裕が無くても怒りの感情を向けないよう。ずっとずっと意識はしていても実践できてない時が多すぎる。 幾千の悲しみを越えてもなお、人の痛みは完全に理解することはできない。 今まで食べたことのなかった食べ物の味は分からないように。 心の世界は広大すぎる。 だから僕はいつまで

今までの物語の中で、いつまでも生き続けてしまわないように

どこから語り始めるか、 これはこれまでの人生について、今の僕自身の解釈を記述する自省録に近いものであるので、変わるかもしれないしそうではないのかもしれない。 広くひけらかすものでもないので有料としたが、 金を払ってまで読むものではないことを最初に強く忠告しておく。 過去に、ある人との別れを経験した。 井伏鱒二の語るように、さよならだけが人生なのかもしれない。 ただし、別れと一口に言っても誰と別れるのかで大きく意味は違ってくる。 懇意にしていた喫茶店の子、共に仕事をしたひと

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自分と対話してみる話②

レイヤーなのかパラレルなのかときどき、自分の中には幾つかの人格が存在しているような気がする。自分という器を考えた時、中に小さな器があるように分離された人格があるのかそれともグラデーションカクテルのように微妙に混ざりながらも一つの器の中で分かれているのか、まったくわからない。 ここで自分が分からないのは、自分が持つ幾つかの人格のバックグラウンドにある価値観はいったいどこから来たのかという事だ。自分が自分の心を守るために僕と俺と私を切り分けることをしたのか、はたまた誰かが誰かの

自分と対話してみる話①

僕は独り言が多い.というか他の人と喋る事が極端に少ないからこそ,雑談からニッチな話に至るまで自分の中にいる誰かと話をしている.心との対話とも言えるこの行為の最中に、自分が何を考えているのか,何を恐れているのかぼんやりとだけど見えてくる気がしている. 基本的に僕は臆病と言っていいと思う.幼い頃からずっと輪の中と言うものに馴染めなかった事も理由のひとつだと思う,もしかすると僕の持つ感性は少しだけ過敏であるのかもしれないなと思う. 親切や厚意,優しさにはどうしてもウラがあるように

はじめまして。あるいは,

今のところ最後の投稿から2年近くが経ち,自分自身の周囲の環境も大きく変化した.勿論良い変化もあったけれど果たして良いのかどうかわからない変化もある. コロナ渦がだんだんと過去のものとなり,今度のGW以降には第五類となる.5年先10年先には懐かしく感じるのだろう.僕が中学生の時に発生した東日本大震災を知らない世代がいよいよ中学生になるほど時間が経っていることに少しの驚きと,その分大人になっているはずの自分の子どもっぽさにがっかりすることもある. 仕事が変わり,徐々に安定を手