自分と対話してみる話①
僕は独り言が多い.というか他の人と喋る事が極端に少ないからこそ,雑談からニッチな話に至るまで自分の中にいる誰かと話をしている.心との対話とも言えるこの行為の最中に、自分が何を考えているのか,何を恐れているのかぼんやりとだけど見えてくる気がしている.
基本的に僕は臆病と言っていいと思う.幼い頃からずっと輪の中と言うものに馴染めなかった事も理由のひとつだと思う,もしかすると僕の持つ感性は少しだけ過敏であるのかもしれないなと思う.
親切や厚意,優しさにはどうしてもウラがあるように思えてしまうし,誰に対しても自分に対しても格好を付けてしまう“性”とでもいうような言動は自分をもってしても気持ち悪いとさえ感じてしまう.
本当は告解をしたい.懺悔をしたい.心の中にあるこの闇を誰かに分かられたいという願望があるのは自分の中では明白だと思う.果たして俺自身の弱さに,心の内側に踏み込んできてくれる人は現れるのだろうか…なんて事をふとした時に考えてしまう.
自分が誰かの心に踏み込む勇気を持てずにいるのになんとまぁ傲慢極まりない事か.
結局僕は自分の弱さと言うものを知りながら,それを補完する方法を全く理解していないのだ.間違いたくない.恥をかきたくないと言う無駄なプライドを捨てきれずにいる自分がどうしようもなく恨めしい.
とはいえ僕自身も人並み程度には人に好かれたいとか、頼られたいとか、楽しみを分かち合いたいという願望はある.最早引き出しの少なさから来る舵取りのヘタクソさは隠しようがないのに、上手くやりたがる.自分は出来るとなぜか思い込んでしまう.何故なのか.ここまでくると格好をつけるとか余計なプライドがあるとかという次元ではない気がしてくる.何か根本的な過ちを冒しているのでは?と思えてくる.
文字にしてみて感じるが、なんとまあ子どもじみた事でウダウダ悩んでいるんだ俺はと言う気になるが、ここで思考を止めてしまっては改善するヒントを見つけ出す事なくまた明日を迎えてしまう.停滞も退化も嫌だからこそ怯まず向き合わねば.
俺自身が自覚している心の奥底にある底知れない恐怖のひとつに、かつて秋葉原で起きた無差別殺人事件や2020年台初頭に多発した列車内での傷害事件の犯人たちの様に自分が明日豹変してしまうのではというものがある.自分の心に抱えている闇にこの直後や近い未来に呑み込まれ,自分自身を制御できない状況に陥ってしまうのではと言う底無しの恐怖が僕の中に確かに存在している.
自分がそうならない保証は残念ながら何処にも無い以上,やれる範囲で最大限自分自身の心をケアしてやる必要があると思う.
さて俺はやれるのかな,もう少し試してみよう