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利口なふりは意外とバレる

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自分自身からあふれてきた言葉の置き場
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生物学的死と精神的死についての考察

バイクに乗る。 バイクで風を感じていると強烈な死の匂いが漂ってくる瞬間がある。 どれだけ気を付けて走っていても、事故に遭うかどうか、怪我の程度については運次第なのかもしれない。 幸い今まで僕が経験した事故では身体へのダメージは大きくはなかった。だが次もそうとは限らない。 ヘルメットを正しく被り、身体にプロテクターを巻き付けてもなお、当たり所によっては死は避けられないし、四肢のどれかを失う可能性は常にそこに横たわり続ける。 亡くなったライダーも何人か知っている。 死神がす

人を笑顔にする方法についての考察

スターバックスのニューヨークチーズケーキ。 用意してくれる店員の所作をつい、見やってしまう。 トレーにどんな向きで載せるのだろう。 手や口を拭く物はどの種類をどの程度載せるのだろう。 フォークを置く向きは。 つい見てしまうのは自分もまた、かつて接客をしていた。 多くの場面を高度にマニュアル化されていたマクドナルドで。 かつてマクドナルドの創業者であるレイ・クロックは新店舗の視察をした際、こんな事を言ったと聞いたことがある。 この店に君は大木を置いておくのかね? この

適材適所という方便

自分がされて嫌なことはしないようにしましょう。 今はどうか知らないが、僕が小学生の時はこの言葉をよく聞いた気がする。 大人になった今の僕はこれを実践できているだろうか。 人にはなるべく優しく、親切に。自分に余裕が無くても怒りの感情を向けないよう。ずっとずっと意識はしていても実践できてない時が多すぎる。 幾千の悲しみを越えてもなお、人の痛みは完全に理解することはできない。 今まで食べたことのなかった食べ物の味は分からないように。 心の世界は広大すぎる。 だから僕はいつまで

今までの物語の中で、いつまでも生き続けてしまわないように

どこから語り始めるか、 これはこれまでの人生について、今の僕自身の解釈を記述する自省録に近いものであるので、変わるかもしれないしそうではないのかもしれない。 広くひけらかすものでもないので有料としたが、 金を払ってまで読むものではないことを最初に強く忠告しておく。 過去に、ある人との別れを経験した。 井伏鱒二の語るように、さよならだけが人生なのかもしれない。 ただし、別れと一口に言っても誰と別れるのかで大きく意味は違ってくる。 懇意にしていた喫茶店の子、共に仕事をしたひと

¥50,000

食事ってめんどくさい

僕は食事が苦手だ. 特別嫌いな食べ物がある訳でも無いし量が多すぎて食べきれないって訳でも無い.それでも目の前の食事に対して集中する事がどうしても苦手だ.どうしても食べる事に飽きてしまう. 僕には苦手なものとそうで無いものとどれくらいの割合で共存しているのだろうか. 僕の主観では圧倒的に苦手なものが多いと思う.話すこと,朝起きること,服を選ぶこと,歯を磨くこと…書き始めるととめどなく思い付く.圧倒的に欠点ばかりが目につくわけだけど履歴書には長所を書かねばならないこともある.

自らの死に備えるべきか?

事件や事故、あるいは急病など自分自身が予期していなかった事象で命を落とすリスクというものについて、昨今の無差別刺傷事件や車のブレーキとアクセルの踏み間違いに起因する事故のような情報を耳にすると、自らが突然命を落とすことに対して備えが必要なように思う。 もちろん結婚したりしている場合には生命保険を掛けていたりと金銭面での対策は多くの人が行っていると思うけれど、それ以外。 例えば自分のSNSアカウントや私用のパソコンのハードディスクデータ、スマホのデータ等についても必要だと思う

自分と対話してみる話②

レイヤーなのかパラレルなのかときどき、自分の中には幾つかの人格が存在しているような気がする。自分という器を考えた時、中に小さな器があるように分離された人格があるのかそれともグラデーションカクテルのように微妙に混ざりながらも一つの器の中で分かれているのか、まったくわからない。 ここで自分が分からないのは、自分が持つ幾つかの人格のバックグラウンドにある価値観はいったいどこから来たのかという事だ。自分が自分の心を守るために僕と俺と私を切り分けることをしたのか、はたまた誰かが誰かの

神がそう望むのなら

今週新しい言葉を学んだ。إِنْ شَاءَ ٱللَّٰهُ‎という表記でこれはアラビア語で”インシャアッラー”と発音するらしい。まぁアラビア語が読める人からすれば読んで字のごとく、神が望むならという言葉だが、個人的に驚いたのは会話の端々で使うという事でまぁ日本語で言うところのやれたらやるとか行けたら行くとか言う非常に可能性の低い言葉らしい。 この言葉を自分に教えたあの人はいったいどんな気持ちでこの言葉を教えようと思ったのか。お前との話はつまらんしあっても楽しくない、だか

自分と対話してみる話①

僕は独り言が多い.というか他の人と喋る事が極端に少ないからこそ,雑談からニッチな話に至るまで自分の中にいる誰かと話をしている.心との対話とも言えるこの行為の最中に、自分が何を考えているのか,何を恐れているのかぼんやりとだけど見えてくる気がしている. 基本的に僕は臆病と言っていいと思う.幼い頃からずっと輪の中と言うものに馴染めなかった事も理由のひとつだと思う,もしかすると僕の持つ感性は少しだけ過敏であるのかもしれないなと思う. 親切や厚意,優しさにはどうしてもウラがあるように

はじめまして。あるいは,

今のところ最後の投稿から2年近くが経ち,自分自身の周囲の環境も大きく変化した.勿論良い変化もあったけれど果たして良いのかどうかわからない変化もある. コロナ渦がだんだんと過去のものとなり,今度のGW以降には第五類となる.5年先10年先には懐かしく感じるのだろう.僕が中学生の時に発生した東日本大震災を知らない世代がいよいよ中学生になるほど時間が経っていることに少しの驚きと,その分大人になっているはずの自分の子どもっぽさにがっかりすることもある. 仕事が変わり,徐々に安定を手

あなたは悪くないなんてのは嘘っぱちだ

日本は海外と比べて云々という文言.新型コロナウイルス感染症のワクチン接種が世界中で始まったことを受けて,最初に述べた言葉を聞かない日は無いと思う. そもそも海外とは何処なのか,世界の国や地域は200を超える現在,ただ海外の国と比較する事だけが正しいわけじゃないはずだ.そもそも海外と比較して云々と論じるのであれば技能実習生制度の様な奴隷制だと非難されるものに関して何故これほど無関心を決められるのか.僕にはどうにも奇妙に思える. ニュースを見ても金を払う払わないとかあいつが悪

END RACISMについて思うこと

F1世界選手権を僕は自宅で観戦する事が多いのだけどその中で今年は特にEND RACISMという言葉をよく見る. 人種差別を終わらせようと訳される事もあるこの言葉,その為にどんな行動を起こすのか,日本で暮らしているとイメージが付きにくい感覚がある.過去に目を向ければ日本でも明治維新の折にアイヌ民族に対して強制的な同化政策を行ったのも事実だと思う.もちろん時代が変化し,世界のあらゆる場所で血と肌の混ざり合いが進んでいくことを憂いるものではない. 最近ではアイヌ文化の継承の機運が

変わるものと変わらないもの

電車に乗る人は多い.そして電車の中での過ごし方は人それぞれだと思う.ちょっと周りを見渡してみるだけでも,本を読んでいる人,スマートフォンを操作している人,眠っている人,時間帯によってはおしゃべりなんかも聞こえて来る.僕は電車でひとり移動する時は決まって外を眺めている.もちろん本を読むときもあるけれど,昼間ならば圧倒的に外を見ている事が多い. 外を見ていると,見知った街でも工事をしていたり,線路脇の学校や企業が何周年になりました.と言うお知らせや,広告も多く目に入る.日頃変わ

今が1番ひどいやってお話

人生には波がある.こんな事を最初に言い出したのは一体誰なのだろうか,多くの意味で的を得ていると思うし,結局は個人かどう感じるのかという問題でしかないような気もする. 僕も既に20年余り生きてきて,大なり小なり波があったと思うし,程度の差こそあれいくつかの挫折も味わってきたと思う.人間何の落ち度もなくったって病気になったりするし,交通事故に遭って亡くなってしまう人もいる.結局は運が良いか悪いか,それに尽きるのかもしれないけれど,それで片付けてしまうのはどうも納得がいかない.