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大好きなニーチェ先生の言葉から、人生とか恋愛を考えてみた。

こんにちこんばんは、髙栁まなです。

日曜日のお昼からビール(ヱビス プレミアムエール)を飲みながらnoteを書くなんて最高な休日です。

今回は髙栁の大好きな、哲学者ニーチェの名言から自分の人生考えてみました。
完全に自己満な自己分析になった感isあるけど。

まあ、よしとしよう。
ではさっそく。

______

01.初めの一歩は自分への尊敬から

自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。
それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

そうではなく、最初に自分を尊敬することからはじめよう。まだ、何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。

自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。

そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは、自分の可能性を大きく開拓し、
それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。

自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊兄しよう。
                         『力への意思』より

いや~、仕事もプライベートも
自分を尊敬できないことの方が多いっすよ先生…

と思いますよ、本当に。

ただ、
「自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊兄しよう。」という部分が私にはキングof本質すぎて。

超これ!!!!

半分綺麗ごとに感じる日もありますが、それはそれで。やっぱりこの世に生を受けたからには、せっかくなんで恥ずかしいくらいに自分を尊敬して、自信持たせるのも良いかもな。と思う今。

02.自分は常に新しくなっていく

かつてはこれこそ真実だと思っていたものが、今では間違いだったと思う。かつてはこれこそ自分の変わらぬ信条だとしていたものが、今では少しちがうと思う。

それを、自分は若かったとか、浅かったとか、世間知らずだったと断じて葬らないほうがいい。なぜならば、当時の自分にとっては、そう考えたり思ったりすることが必要だったのだから。当時の自分の段階にあっては、それが真実であり信条だったのだ。

人間は常に脱皮していく。
常に新しくなっていく。
いつも新しい生に向かっている。


だから、かつては必要だったものが、今は必要でなくなったにすぎないのだ。だから、自分を批判していくこと、人の批判を聞いていくことは、自分の脱皮をうながすことにもなるのだ。さらなる新しい自分になるために。                      『悦ばしき知識』より

人間は常に脱皮する。
昨日見たアニメ、さっき読んだ広告、いいねしたSNS。日々、自分を脱皮させていくには有り余るほどの情報で溢れている。

この脱皮が、身体を大きくするための脱皮であれ、マインド面での脱皮であれ、新しい自分に出会うことは過去の自分を置いていくことが、いわゆる「新しい生に向かっている」という事なんだろうな。

かつてありましたよ、私にも。
数多の脱皮が。
忘れられない匂いと思い出が。

高校生の頃に足繫く通った超プチプラ服屋さんのポイントカードとか、その人と撮った400円のプリクラとか、彼からもらった手紙とかネックレスとか。大学時代に付き合ったクズなバンドマンとか、深夜のライブハウスの匂いとか、音信不通になった29歳の元彼氏とか、犬系と思いきやただのヤリチン大学生とか。

便せんに入りきらないくらいのプリクラの厚みがなんだか急に重く感じて、じっくり見るのも恥ずかしすぎて、眩しくて。


完全に美化された過去の記憶と空気を思い出してちょっぴり黄昏る夕方。。
(虚しさ半端ないw)

みんな、今頃どうしてるんだろうな~。
どんな人生にしてるんだろうな~。

人間は常に脱皮していく。
常に新しくなっていく。
いつも新しい生に向かっている。


当時、横並びに歩いていた道は、今はもう永遠に交わらない。
いい青春でした、ありがとう。(笑)


03.四つの徳を持て

四つの徳を持て。
自分自身と友人に対しては、いつも誠実であれ。
敵に対しては勇気を持て。
敗者に対しては、寛容さを持て。
その他あらゆる場合については、常に礼儀を保て。
                           『曙光』より

人間として、大事なことかもしれん。
器の大きさを試されているかのような言葉。

これ以上も、これ以下もない。
人として大事なこと。

自分はどれくらい「徳」を積めるのであろうか…
大人になったら寛容さが生まれるのだろうか…
寛容さを求める人生は自分にとって楽しいのだろうか…

なんてことを考えてしまった25歳冬。
まだまだ尖り続けたい気もする25歳冬。

04.愛する人の眼が見るもの

他人から見れば、どうしてあんな人を愛しているのだろうと思う。
あんな人は格別にすぐれているわけでもないし、見栄えも良くないし、性格も別によくないのに、と思うのだ。

しかし、愛する人の眼は、まったく異なる点に焦点をあてている。
愛は、他の人にはまったく見えていない、その人の美しく気高いものを見出し、見続けているのだ。
                        『善悪の彼岸』より

愛するものを見るときの眼、よくわかる。
その人の眼を見るとわかる。

愛する人、趣味、仕事、ペット、食べ物。何かを愛している時の人はとても穏やかな眼をしている。

素敵な眼。

自分の名前も、「愛」と書いて「まな」と読むけど、愛って深くて穏やか、でも残酷で脆くて醜い。

愛で何かを変えることはできるのだろうか…
みんなは愛をどのように使っているのだろうか…
愛を感じるときはどんな時なんだろう…

この先、「愛」に関する思い出や経験にどれほど出会えるだろうか…
楽しみだな。

そんなことを考えながら、明日からの1週間のスケジュールを見返す髙栁であった。

おしまい。

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