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モテない経済学とモテる小島教授ー「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?」を読んで思ったこと
モテない経済学
経済学はモテない。思いやりがないのだ。
今週、この本を最後まで読み切った。めちゃくちゃ勉強になった。
「アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?これからの経済と女性の話」(カトリーン・マルサル著)
タイトルからして面白い。
![](https://assets.st-note.com/img/1679069105074-HBUEWD7PxM.jpg?width=1200)
著者にサインをもらうときも好印象
ふと、少し前にバズったツイートを思いだす。
「(夕食は、)簡単に冷やし中華でいいよ」と夫に言われて、怒った妻の投稿。
例のごとく「簡単に冷やし中華でいいよ」とか言われた際の冷やし中華ですご査収ください
— ウモにまめ (@nimaimo27) May 7, 2018
包丁は使わず歯を使うスタイル pic.twitter.com/cK8Oh0DlzF
アダム・スミスと言えば「国富論」を書いた経済学者として有名だ。彼は夕食だけでなく、身の回りのことを、すべて自分の母親に支えてもらいながら、経済学者として活動していた。
にもかかわらず、経済学では、家事などのケア労働は無視される。彼が生活できたのは、彼がお金を稼いでいるからだと考えられ、母親は彼の生活を支えているとはみなされない。
この本のタイトルにはそんな皮肉が込められている。
「アダム・スミスの夕食…」の本編でも、辛辣な皮肉を交えて、経済学者を批判している。たとえば、こんなふうに。
世界最大の屋内スキー場はドバイにある。
(中略)
問題は採算がとれるかどうか、それだけだ。
経済が公正かどうか?生活の質を上げるかどうか?人材を無駄に使っていないか?安全に配慮されているか?地球の資源を浪費していないか?働きがいのある雇用を生んでいるか?
ー そんなのは、経済学の教義に反する問いだ。
こうした既存の経済学への批判は、いろんなところで目にするが、この「アダム・スミスの夕食…」の主張には、特に説得力がある。それは、経済学の前提条件にメスをいれているからだ。
世の中は、利己的で合理的で、自分の利益を最大化することを目的に考える人、経済人だらけであることを前提にしている。
要するに、「儲かるのどっち?そっちを選ぶわ」ということしか言わない人たちだ。
確かにそんな人たちが多いのは事実かもしれない。
このnoteを書いている間も、ピロリンとメールが届く。
とある銀行がキャンペーンで、外貨預金すると10%の金利を支払ってくれると書いてある。一瞬、客の利益を考えてくれているのかと思い、騙されそうになる(もちろん、だまされないけどね)。
よく見ると、小さい文字で、初めの1ヶ月だけと書いてある。そして為替手数料をしこたまチャージされる。
まさに、経済人だ。自分の銀行の利益を最大化することを目的に考えている。
「全員が自己利益のために合理的に考えている」という経済人を前提にしているせいで、愛や思いやりのある女性は虐げられる。そして女性差別を認めてもらえない。
それは、つまりこういうことだ。
たとえば、子育てをするときに、妻の方が育休をとりやすい、妻の方がキャリアをあきらめやすいという事実がある。
これを経済学はどう説明するかというと、「夫よりも妻が休んだり、キャリアをあきらめたりするが方が合理的だった」と解釈する。
「妻の方が思いやりがあるから子供の面倒をみるわけでもないし、妻の方が愛があるから自分のキャリアをあきらめているわけでもないし、子育てが女性の仕事だというステレオタイプを押し付けられているはずもない」
だって、そうでしょ。妻も経済人だもの。愛や思いやり、もしくはステレオタイプの押し付けで、その選択をしたという可能性は一切否定してしまうのだ。
利己的に合理的に選択した結果、妻が子供の面倒をみることになったとみなされる。夫よりも妻の方が稼ぎが悪いから、子育てしてるんだよね、と結論づけるのだ。
そして、子育てはタダの労働だから、何も生産していないとみなされる。
これが、経済学なのだ。
彼女は、さらにこう語っている。
経済人が理性と自由を謳歌できるのは、誰かがその反対を引き受けてくれるおかげだ。利己心だけで世界がまわるように見えるのは、別の世界に支えられているからだ。(中略)経済にさんかしたいなら、経済人になれ、男らしくあれ。(中略)
アダム・スミスが自己利益こそすべてと言えたのは、誰かが彼のためにステーキを焼いてくれたおかげだった。
全編にわたって著者カトリーン・マルサルは経済学(マクロ経済学)を痛烈に批判している。
「女性はつねにかやの外に置かれている。性はひとつしか存在しないからだ」
モテる小島教授
経済学がすべて批判の対象ではない。経済学の範囲は幅広い。
彼女の批判したマクロ経済学以外では、愛や思いやりのある経済学もある。
マッチング理論を専門とする小島教授は、待機児童問題の解消に経済学を役立ててくれている。
安心して保育園にこどもを預けられれば、男性も女性も自分のキャリアを犠牲にしなくてもすむかもしれない。
そして、彼は僕の著書の帯にこんな推薦文を書いてくれた。
![](https://assets.st-note.com/img/1679066744450-58W0OzzcUN.jpg?width=1200)
メディアで”エコノミスト”の言ってることがワケわからない、と思ったことはありませんか。僕はいつもそうです。そういう人が、自分で経済を考えられる本です。
ここでいうエコノミストとは経済学者のことだ。そして、経済学を表すエコノミクスの語源であるオイコスは、家を表している。
経済学者は、ワケわからないお金の話だけをするのではなく、小島教授のように、家の抱える問題も解決してほしい。
そして、岸田政権の異次元の少子化対策。
子育てにお金さえ配れば、問題が解決するというのも違うだろう。
周りの思いやりがなければ、育休はとりやすくならないし、男性の家事育児への参加を増やさないといけない。
小島さんも前後にお子さんを乗せて自転車をこいでいる。
アダム・スミスから小島武仁にシフトしないといけないのではないだろうか。
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読んでいただいてありがとうございます。
田内学が、毎週金曜日に一週間を振り返りつつ、noteを書いてます。新規投稿はツイッターでお知らせします。フォローはこちらから。