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今を整理して残す
大学生のころ、1年間ほど博物館でアルバイトをしていた。
きっかけは友人の紹介だった。先輩の紹介でそこのバイトを始めた友人は、博物館の人に「○○の展示をやることになったので興味のありそうな人を紹介して」と言われたそうだ。そのジャンルの知識がありそう、かつ一定期間暇そうな人、そして仲の良い友人だからということで、私に声がかかった。
心の底からのガッツポーズをした。本当にうれしかった。その展示に関わってみたいとずっと恋焦がれていたのだが、私一人で担当者へのルートを開拓するのはなかなか厳しかったのである。
これぞまさに"自ら引き寄せたご縁”だと思う。こういう巡り合わせのために、好きなものや今興味を持っているものを積極的に周りの人に伝えるようにしていたし、声をかけてもらいやすいようにいつでも時間に余裕がありそうな雰囲気を醸し出すようにしていた。それはある日突然、実ったのだ。
実際に働きだしてから、本当に毎日が楽しかった。近くの蕎麦屋さんでランチしたり、仕事終わりにお菓子食べながらみんなで話したり。だが大学と博物館を行き来したあの生活はもう一生訪れることはないし、みんなで集まることはきっともうない。あの時働いていた人の多くは、すでに別の職場に異動している。当たり前の日常はちょっと時間が経つだけで思い出に変わる。だけど一緒に積み重ねた時間は、これから先どこかで交わるはずだと私は信じることにしている。
一方で仕事自体は終わりのない、途方もない作業の繰り返しだった。私は好きなものだったから苦なく、むしろ楽しみながら作業に打ち込めた。そのジャンルの知識も純粋に増えたし、良い勉強になった。
短い間ではあったが、"資料を整理整頓して未来のために残しておく"という仕事に関わり、"働く"という価値観が根本から覆された。「今すぐには必要のないことかもしれない、でも何年か何十年か後の誰かのためになるのだと信じて働く」なんて、普通の就活生だった私には衝撃的だったのだ。私が作ったあの資料やデータが日の目を見るのは果たしていつなのだろう。仮に私が死んだ後だとしても、いつかは必ず見知らぬ誰かの役に立てるはず。だとしたら、そんな幸せなことはない。
見えていない未来、見えていない他者、だけど志は通じ合っていれば、時空を超えてつながっていけるのかもしれない。映画『時をかける少女』で登場する「絵」のことをぱっと思い出した。あの絵は無事修復されて千昭のいる時代まで残っているのだろうか。
展示されている絵の目の前に立った時、単純に絵そのものに感動するだけではなく、この絵の前に立った人々のことにも思いを馳せることができるのかもしれない。見えないけれど、会うことは出来ないけれど、”何か”を通じることで場所や時間を超えて想いを通わすことができるのかもしれない。ここまで書いていて、美術館に猛烈に行きたくなってしまった。
今を生きている私にしかできないことって、今を残すことなのかもしれない。がんばって積み重ねたらいつの間にかそれは歴史になっていて、何かの役に立つのかもしれない。そんな気持ちを胸に秘めながら、noteを毎日更新しています。
またご縁があって、この博物館で働くことになりそうなので、少し振り返ってみました。蕎麦屋さんに行くのが今から楽しみです。