ゆれる日、ないですか
私は、基本的に幸せだと思う。
今までの人生もおおむね順調だと思う。それは別に受験とか就職とか夢とか恋とか、全て思い通りにいっているとかじゃなく、もちろんミクロな視点で振り返れば悔しかったりもどかしかったり他人に説明するのが面倒だと思うほどに言語化できない感情になったりした。でもマクロで見たら、あーあれがあったから私はこういう考え方になって、それが活きてこの決断になったんだな、決して無駄ではなかったな、と思えることが比較的多い。というだけの話だ。
幸い今年は自分を振り返ったり、本当の望みが何なのかを探る時間が持てていた。今はやっとその望みに向かって、小さな一歩を踏み出したような状況だ。
悪くない。ミクロで見たら進んでいないように見えるけれど、10年、20年単位で見れば、私は明らかに私が考える「豊かな人間」になっているはずだ。そう信じてやまない。
でも、ふとしたことで、自分が築き上げた信念が全て崩れそうになることがある。
私の決断が、大事な人に迷惑をかけているんだな、と感じてしまった瞬間。友達との会話で、全く異なる価値観を言われても否定できずに「そうだね」と同意してしまった瞬間(私はアサーティブな会話方法を磨く必要があると思う。否定すると角が立つと感じると、とりあえず口ばかりだけど同意してしまう)。
私は、間違っているのか?すべて間違っていたのか?何の役にも立たない存在なんだろうか?社会で「負けている」んだろうか。
普段なら、「私のことを一番知っているのは自分。自分が幸せであればいい」と思えるが、周期的なものが影響したり心配事が多かったりする日は、「私ってものすごくダメな人間なのかな」と思ってしまう。私が築き上げたものが根本から崩れそうになってしまう。ただの一過性のもので、数日過ぎれば、いや、なんなら寝てしまえばすぐに元気に戻ると分かっていても。
そんな時は、「周りが言っていること」「世間」を全て頭から排除して、遮断するようにしている。
日記に戻り、「私が」普段考えていること、「私の」夢、「私の」幸せを思い出す。そして私の望みは叶う、そしてその時に私は最もハッピーになれるのだと念じる。信じる。
今もこうして、noteに自分の思いを書いて整理して、私の気持ちを取り戻そうとしている。心が落ち着いてきた。そうだ、今日も私は食べて、歩いて、見て聞いて、話して、いろいろなものを感じることができる。それでいいじゃないか。
寝る時、私は周期的なものが近づくと、夜中に30分くらい止めどなく泣いていた。
その時幸せかどうかは関係なく、突然全てが間違いだったかのように思えて泣いていた。
でも、今年はそれがあまりなくなる気がする。
いつでも「私」に立ち返ればいいのだと知っているから。