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私は私だけのもの

自己紹介の投稿を全部済ませてから語りのターンに入ろうと思っていたのに、日常でふと「これ、詳しく書きたいかも」と思い立った時に「でも自己紹介が…」と踏みとどまることが何度かあり、もどかしかったので、もう思ったことをどんどん書いていくことにした。

私は他人の悩みを自分のことのように聞いてしまうタイプだった。
ドラマや映画の感傷的なシーンではもれなく喰らってしまう人だった。好きだった登場人物に不幸が降りかかることがあれば少なくとも三日間は引きずった。
恋人の生い立ちに悲しい部分があれば、「私がその悲しみを癒す存在になりたい」と、相手を変える術を常に考えていた。
家族に何かを否定されれば、言われた通りにやめていた。いいと思ったコーディネートで出かけるのをやめて言われた通りに修正したり、だらだらするのをやめろを言われれば慌てて喜ばれるような行動を取ったり。

家族、友達、恋人、そういう精神の依存先が複数あることはいいことかもしれないが、いくら近い関係の人でも、自分の機嫌をその人によって損なわれたり、ポジティブにさせられたり、そういうのは基本やめたいなと思った。
だってそれでは自分で自分をきちんと立たせることができていないから。
依存するから、「私はこれだけしてあげたのに」と思うのだ。
依存するから、「じゃあ私も同じくらい愛されたいよ」と期待するのだ。
依存するから、本来の自分の価値を感じられなくなってしまうのだ。
私にも好きなことがあって、価値観や感性があって、それは他の誰とも違う。
それが当たり前なのに、依存先の世界観に自分を合わせなくてはいけないと思ってしまう。
自分の好きなものが見えなくなってしまう。

今年に入り、自分がやりたかったことを全てやるようにした。
部屋に花を飾る。
ipadを買う。
メイクやスキンケア関連でちょっといいものを買ってみる。
欲張りかもしれないけど、自分にもっと負荷をかけるために転職をする。
これから、お金もあまり貯まっていないくせに一人暮らしを始めようと思っている。
誰からも干渉されない世界が必要だから。
自分に好きなものを与える過程で、私は今まで自分のことをこんなに放ったらかしにしていたのだなと気づいた。自分にお金をかけることは無駄だと考えていたから。
でも、確実に去年までの私と変わっていった。
好きなものを享受した結果、自分の軸が輪郭を帯びてきて、自分と他人との心の境界線を感じられるようになってきた。

家族に何かを否定されようが、私の心はあまり揺るがなくなった。
友達がどうであれ、その人が生きていれば他のことはなんでもいいと捉えるようになった。
別に近い関係だからって期待通りに動かなくても良いのだ。
まず少なくとも私にとっては、一番長く付き合っていくのは私なのだから、私のことを一番理解してあげないといけない。

生理痛で眠い昼下がり、家事もろくにせず、カップラーメンしか食べられず、薬を飲んでベッドでこの文章を書いている。幸い、天気が良いから心がいくらか救われる。
こんな日は、呼吸をするだけで十分だと開き直る。
この瞬間に生きていることこそが贅沢なのだと思う。
その贅沢を思い切り感じながら、今日は好きなことして寝てようかな。

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