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天人五衰-豊饒の海-を読んで

ここまで読んできた豊饒の海もいよいよ完結編。
胸を弾ませたのと同時にどこか寂しさを感じる。読み切ったという達成感は何ものにも代え難いものとなった。
言葉の美しさ、そして強さをこの作品を通じて感じることができた。

天人五衰の始まりは、主人公の安永透がいる港町の様子から。
海、雲、鳥、そして船。ひとつひとつが鮮やかにそしてリアルに想像できる。
冒頭から三島由紀夫の素晴らしさを再認識させてくれる。

安永透が転生者と位置付けれたわけだが、今までの転生者とはどこか違う、頭のキレる男だった。
それは本多も感じていたと思う。
いや、感じていた。
本多は養子に迎え入れた。
転生者のキーワードである、脇の下の黒点3つ。それだけである。
英才教育の元、透は育っていくわけだがあるときから豹変する。
野望を持った人間はここまで変わるのかと思ったほどだ。
それもそうか、今まで何も持っていなかった人間が急に多くのものを手に入れるのだから。ましてや、透は自分は他の人と違うと思っている。そうなるのも無理はない。
本多の目線からしたら浅い言葉ではあるが「可哀想」だと感じる。
本多の自業自得といえばそこまでだが。

慶子が透に転生の話をしたことで、透は自殺を試みるが失敗して失明。
自分が特別な人間だと思い込んでいる透だから自殺しようとしたのか。
失明してまた人が変わったような透。
その隣にいる絹江。
絹江がまた奇妙に書かれている。
それが少し面白い。

本多は月修寺へ。
そう、門跡聡子さんのもとへ。
そこでそう、有名な事件が。
本多が聡子さんに清顕の話をしたときに、
「清顕さんとは誰ですか?」と。
覚えていないのではなく、そんな人いなかったと。
読んでいて頭の中が「??」だった。
聡子さんは

「記憶と言うものは、映る筈もない遠すぎるものを映しもすれば、それを近いもののように見せもすれば、幻の眼鏡のようになるものだ。」

と言う。
つまり今見ているものは誠ではないかもしれないと解釈した。
記憶というものは美化もさせれば醜くもさせる。
とても衝撃だった。
今まで読んできた物語はただそのように見えていただけだったのだろうか。
最後の最後に問いかけられたようだった。
これが遺作。もうこの物語の答えは聞けない。
偽りでも私は見たものを誠のように感じていくのだろう。

豊饒の海を最初は軽い気持ちで読み始めた。
しかし、読み進めるほど今まで読んだどんな作品よりも重く、そして考えさせられた。
この作品を読んだことでこれからどの作品よ読んでも物足りなく感じそうで怖い。
しかし、それほど充実したひとときだと感じている。
この作品に出逢えたことに感謝だ。

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