見出し画像

傷つけてごめんね、傷ついて、ごめんね、


先日、ある人から「仕事に行けてるだけすごいよ」と言われた。私は少し笑って「そうだよね」と返すことしかできなかった。

仕事に行けてるから、辛いのに、そのことに気がついてくれる人は誰もいなくて、仕事に行けてるから大丈夫だと思われてしまう。理解されない理由になる。

家や、会社の休憩時間、1人になった瞬間に溢れる涙、そんな中途半端な限界のサインじゃ誰にも気づかれないんだよ。仕事に行けば動けてしまう。それなりに笑えてしまう。だから、何もかも嘘のように感じる。働けてるから大丈夫なんだと、自分でも思い始めた最近。家で、日常生活がままならなくても、なにもできなくても、過呼吸が続いても、まだきっと私は大丈夫だって、だって働けてるから。動けないなら、完全に動けなくなってしまいたい。中途半端でグレーゾーンなのが、1番心が壊れていくんだ。心と体が合っていない感覚。でもどうすることもできない。

この間、大好きな子とお揃いで買ったお守りは、大好きな子に届いただろうか。心願守りといって、心の奥底で願っていることが叶うというお守り。大好きな子は、一体何を願うのだろう。そんなことを考えながら、今日もたくさんの薬に絶望をする。

私は、そのお守りをお財布に入れた今も、何を願っていいか分からずにいる。私の心の奥底。それは私の本当の姿で、本当の願いで、今はそれを自分でも見つけられずにいる。

誰にも迷惑をかけたくなくて、こんな状態で誰にも理解されるはずがなくて、本当の自分じゃないこの状態で人には見せられないこの状態で、離れられるのが怖くて、嫌われるのが怖くて、何人もの連絡先を消した数日前。言われたくない言葉を言われるのも嫌、本当は違うのに、と思ってしまうことも嫌だった。私の今のLINEは家族含めて20人もいかない。

私は今までなにをしてきたのだろう。24年間生きてきて、助けてと言える人がいない。生き方が下手くそすぎて、本当は友達かもしれない人にまで距離を置いて、疑ってしまう。その人の何気ない言葉で、その人にとっての私の価値をなんとなく気がついてしまう。それが大体当たっていることも、自分でわかっている。だから、自分が嫌いなのだ。もっとそういうことに鈍かったら、勝手に傷つくこともなかった。

嫌いな人が、みんなと仲良くしている。そのことにすごく傷ついた。誰が誰と仲良くしようとそれは勝手だし私が何も言える立場ではないこともわかっている。けれど、そのことでみんなのことを嫌ってしまう自分が嫌になった。きっとみんなおんなじだと思ってしまった。少なくとも、簡単に人を不快にさせることができてしまう人と一緒にいても、何も思わないということなのだろう。だから一緒にいることができるのだとおもう。私はもしこれから大好きな子のイベントなどでみんなと会う機会があったとしても1人を選ぶだろう。苦しいから、話しかけられるのも、一緒にいるのも。全部全部苦しいんだ。

明日からまた生きられるだらうか。
心の奥底の願いを見つけられるだろうか。

仕事の時の自分が偽りなのか、1人きりでいる自分が偽りなのか、そのどちらとも偽りなのかもしれない。本当の自分とは、なんなのだろう。それは、この病気が治った先にあるのだろうか。

自分のことを傷つけてしまう自分。大切な人かもしれない人を傷つけてしまう自分、人の言葉に行動に、最も簡単に傷ついて、勘繰っては傷ついて、それが本当だと分かると何もかも諦めてしまう。自分で生きづらくしていることもわかっている。

周りにも、自分にも、これから出会う誰かにも、今まで離れてしまった、又離れていってしまった誰かにも、ごめんねの気持ちで沢山で、申し訳なくてやっぱり私はこんな面倒な人間なのだ



いいなと思ったら応援しよう!