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絶望の中で時々見える微かな光
私はいつから闇の中にいるのだろう。気がついていなかっただけで、きっと何年も何十年も闇の中にいたのだろう。そしてそれに気がつかない、気づかないふりをする鈍感さなのか、又はただの見て見ぬ振りが人よりも上手かっただけなのか、それをできることが私の唯一の強みだったのかもしれない。
鬱の薬が効かず、酷くなる一方で、2週間ごとに抗うつ薬を変えて、離脱症状や副作用に悩まされて、体調に優れない日々。毎晩過呼吸になり、朝方や仕事中には動悸がして苦しくなる。そんな日々がどうでもよくなり、死ぬ勇気はないくせに、このまま目が覚めなければいいと、薬を大量に飲み、目が覚めないよう祈り、目が覚めてしまった時の絶望。そしてそんな日々が何日もある中、結局毎日闇の中仕事をした。
薬を過剰に摂取することをつづけていたため入院になったが、心は休まらず、苦しいままだった。今は仕事復帰をしているが、休むことが怖くなり、余計に休めなくなっている。わたしの心と身体はバラバラで、本当の私はどこかに行ってしまったようだった。
会社に唯一だいすきな看護師がいる。私のことを唯一わかってくれる人だ。でも時々、その人すらも怖くなる。分かっているのに、信じられなくなる。そんな私が1番信じられないのは自分自身だ。
私が笑顔になれる瞬間は、その看護師と話している時、好きな人といるときだ。その瞬間だけは守られているような気分になって安心できるのだ。
今日、大好きな推し、中川紅葉ちゃんにDMをして、お手紙を書いた。今日のうちにお手紙を出しにいけたのは、何もできずに息を吸っているだけの私の側にいてくれる母のおかげだ。
くぅちゃんはDMにいいねをしてくれて、それだけでありがたかった。うれしかった。涙が出た。昨日の夜、ファンクラブのイベントが開催されるという通知がきて、苦しくて苦しくてたくさん泣いた。目が腫れるぐらい泣いた。過呼吸にもなった、。そんな私の気持ちを悟って背中をさすってくれていたのも母だ。今の私では到底くぅちゃんには会えない、仕事復帰もしたばかりで、もうでてしまっているシフトを勤務変更をしてほしいなんて、とてもとてもパワハラ上司に言えるそんなメンタルも今の私には持ち合わせていなかった。今の私には可愛い服は着れない。あれから何十キロも太ってしまった。食べたり食べなかったり、薬の副作用もあってかむくみも酷い。こんな私では、メイクも服も似合うものはない。そして、なにより人が怖い。たくさんの人の場所に行くことが怖く、笑える自信もなかった。もし途中でいつもみたいに過呼吸にでもなってしまったら大好きな人を困らせるだけになる。そんなのは嫌だった。きっと前の私なら勤務変更をしてもらってでもくぅちゃんに会いに行っていただろう。即決していただろう。その変わり様にも悲しくなり、虚しくなり、自分に絶望し、自分を責めて、くぅちゃんに忘れられてしまう怖さを覚えた。くぅちゃんのなかの私が消えてしまわないだろうか、いなくてもいいファンにならないだろうか、今こんなことを書いている今も怖くて怖くて苦しくて仕方がない。
私が1番大好きな自信があるのに、1番なのに、会えないのは悔しかった。SNSをみてまた苦しくて悔しくて泣くのだろうか、。この間もそれで泣いたばかりだ。私は推しを見て笑顔になりたいのに、そのためのSNSなのに、それを見て泣いているのがまた悲しかった。
今の私が、元気になる頃にはくぅちゃんはもっともっと遠くにいってしまっているのかもしれない。そもそも、元気になれるのか、治るのか、もう自信がなく、気力もあまり残っていない。それも全部私の今までの生き方の代償なのかな、。生きるのって難しくて、優しさとか愛とか、好きとか、会いたいとか全部全部難しくてそう上手くはいかないんだ、それを痛感して、SNSで楽しそうにしているみんな、仕事中に笑っている人たちをみて、冷めてしまうし、推しのことに関しては、「私の方がすきなのにな、」と激重な感情になってしまって、なんかもう何も信じられない、という気持ちになる。わたしが絶望の中にいる間、幸せになっていく人たちばかりが視界に入ってきて、どんどん性格が歪んでいく様な気がしてそれにも怖さを覚える。一体本当の私は、今までの私はどこに行ってしまったんだろう。そもそも、本当の自分とはどういう自分だったのか、今ではもう思い出せない。
でもそんな日々でも、時々微かに光が差し込む瞬間がある。今日は、くぅちゃんがDMを読んでくれた、届いたんだと安心した。そして、だいすきな看護師さんが漬けてくれた野沢菜がとてもおいしかった。私のご飯の心配までしてくれるその人は、私が抗うつ薬を過剰摂取していたとき、1番に異変に気がついてくれ、否定しないでいてくれた。寄り添ってくれた。絶対怒られると思っていたのに、その人は、退院したあとも、仕事で気を遣ってくれたり、「泊まりにきな」と優しい言葉をかけてくれる。夜勤の時、何も持って行かない私にお弁当を作ってくれたのもその人だった。母の代わりに病院に付き添ってくれたりもする。私の大好きで安心する人だ。そんな人や、行動や、くぅちゃんの存在に助けられたりしていて、いつか元気になれたらいいとできるだけ言葉にする様にしている。沢山優しくしてくれる人たちのために、思ってなくても、思えなくても、そんな気力がなくても、自信がなくても、そう言葉にすることで、またいつかって思えるし思いたい。それ以上に相手にそう思ってもらいたいから。
くぅちゃんのことも、私はずっとずっと一途に応援し続けるし、1番大切なくぅちゃんを傷つけないように、大事に気持ちや思い出をしまっておきたい。また、会いたいし、次会えたら、沢山お話がしたい。今はなんにもできないけれど、手紙を書くことですら精一杯だけど、またお手紙を書いてくぅちゃんに気持ちを届けられたらなって思います。
私の微かに光が差す瞬間はいつもとても短いけれど、とてもとても尊いものなのです。
今日も泣いて過呼吸になって、動悸もして苦しい1日だった。明日の仕事のことを考えるだけで薬を大量に飲みたくなってしまう。私は、わたしは、いつか、みんなとおんなじになれるのだろうか。幸せになれるのだろうか。25歳になって沢山の棘が今まで以上に刺さる様になった。痛みに鈍感なだけで、気がついたら心が壊れる音が聞こえる様になった。それなのに何も選べずただ、言われた通り仕事をこなす日々だ。仕事に行けてるのがとても不思議で自分でもよくわからない。
私は、いつか、だいすきな人に私だけの言葉をもらえるように生きたいと思っていた。けれど、もう、気がついたらそれどころではなくなっていた。というか、そんなことを思える様な私ではない、今の私がそんなことを望んではいけないそんな気持ちが大きい。こんな何も選べず何も考えられず答えも出せずそんな自分のことがとても見苦しく思える。
心と身体がボロボロになっても休むことを怖くて選択できない自分が、自分でもよく分からないしきっと誰にも理解されないのだろう。休むことが、どれだけ難しくて、どんどんできなくなっていく。世間の人たちはどうしてそんなにちゃんと生きれているんだろう。どうして私はこんなに、下手くそなんだろう。
今日もそんな闇の中。絶望の中。
でも、野沢菜、おいしかったな、くぅちゃんにDM届いてうれしかったなという微かだけど尊くて尊くて優しい光。