悲しいの中に|高橋一生
やりたいこと100の何番目かに書いた、
"高橋一生のお芝居を生で見る"が叶った。
舞台のひとつひとつのシーンをなぞって
感じたり考えたりしたことを書くのはやめる。
わたしのnoteはいつも基本的にそうだけど、
結局感じたことはたったひとつで。
いろんなことをぐだぐだと書くんだけど、
そのひとつに行き着くみたいなところがある。
というか、またいつかの自分がそのひとつを取り出せるように書いている。
ぐだぐだ書いているうちに、言いたいことを詰め込み過ぎることもある。ひとつの気持ちをできるだけ具体的に書くためのそれと、言いたいことがばらばらになってしまうそれとは全然別物だと思っている。
舞台「兎、波を走る」を観た。
前情報は、「すごくよかった!」という感想と、結構難しい作品である、ということだけ。
初めて生の高橋一生を見れるので、自分が率直にどう感じるんだろうとひたすらにわくわくした。
前日まではまったく実感もなかったんだけど、博多座に向かってる間、口角がいつもより上がっているのに気づいて、こんなに浮かれてるんだってことを知ってさらに気持ちが高まった。
ただ、ただ、すごいものを見た、と思った。
すごい瞬間を目撃した。
すごい場所に居合わせた。
わたしは当事者ではなくて、
それに近い経験さえもしたことがない。
それなのに、そのまま、そのままの感情が
わたしの心の中にあったみたいに
胸が押し潰されそうになった。
そこにいる全員がすごくて、
それを前提とした上で、
今回は高橋一生の話をしたい。
これまで過ごした毎日の中で、
悲しいだけじゃない、悔しいだけじゃない、言葉では説明のつかない気持ちになったことって誰にでもあるんじゃないかなあ。
もしくは、悲しいの中に、悲しいなんて言っちゃいけないかもなあとか、ああやっと分かってもらえたとか、いろんな気持ちが入り混ざっていること。
高橋一生は、そういうのを全部ひっくるめて噛みくだいて、自分のものにして、そこで"その人"として生きている。
目の前にいるその人がそういう気持ちでそこに立っている。だから見ているわたしは涙が止まらない。
上手く言えないけど、そういうのを体験した。
歌人の岡野大嗣さんの言葉を借りると、
高橋一生は、「わずかに色のついた部分」
を取りこぼさずに表現できる人。
誰にも言わなかったけど、
言葉にできなかったけど、
心の奥の奥で確実に心がグラッと動いた瞬間。
大きな怒り、大きな喜び。
そういう漠然としたものよりも、
ほんのちょっと心が動いた、
言葉になる前の感情のほうが本音に近くて。
小さな小さな感情だけど、
自分だけは確実にそれを知っていて。
心の奥の奥、いちばん自分に近い場所。
どれだけ小さくても、
強く強く心に何かが刺さったりすること。
だから高橋一生を見ていると、いつかの言葉にできなかったもどかしい気持ちが呼び覚まされるみたいで。ひとつ残らず救われるみたいで。
ああほんとに、すごいものを見た。
こんな感覚をもう一度味わってみたくて、次はどんなふうに心が動くのかなってドキドキして、またいつか劇場に足を運ぶんだと思う。
その日までの間、言葉にはできない気持ちが心の奥の奥にたくさんたくさん生まれると思うけど、きっとまたこの場所で救われるから。
p.s.
・「カルテット」
・「僕らは奇跡でできている」
・「blank13」
・「凪のお暇」
・「天国と地獄」
・「岸辺露伴は動かない」
高橋一生出演作品で好きなものを紹介して終わりにします。まだまだ見たことのないものが多いですが、ちょっとずつ、気の向くままに、見ていきたいと思います。