サブカル大蔵経997中村元『釈尊の生涯』(平凡社ライブラリー)
学生の頃、先輩が「中村元は学者ではなくなった」と言うのを聞いて驚いたことがあります。なんでそんなこと言うのかなと思いましたが、本書を読んで、少しだけその意味がわかりました。学者としておさまらない義侠心というか、熱情というか。
読者の希望と正反対のすがたが出てくるかもしれないので、それは残念ながらであるが、しかしいたしかたない。p.12
「いたしかたない」ー。これはもう、宗派や学問の周辺にまつわる魑魅魍魎を斬る覚悟ですよ。ありがたい仏様の本だと思って本書を手にした人も一緒に。
今、中村元記念館監修の評伝『はじめのはじまり』を読んでいますが、子供の時からある種、過激さの片鱗は漂っていました。
なんだか一冊の本のなかで、大変なことが起こってしまったような気がする。p.242
解説を担当した玄侑宗久さんも驚いた。
歴史的人物としてのゴータマはその臨終においてさえも、仏教というものを説かなかった。p.225
釈尊は〈仏教〉を説かなかったー。
たしかに、親鸞が〈浄土真宗〉を説かなかったように、教義や宗派と言ったものは、後のこじつけでしかないのかもしれない。
仏典の最古層とジャイナ教聖典や叙事詩の最古層あるいは古ウパニシャッドを対比すると、/あまりにも類似の著しいのに驚いてしまう。p.20
釈尊の思想に、仏教に、オリジナルはあるのか問題。
仏教の開祖個人をいうときには、ゴータマ・ブッダという名が使われる。p.23
あくまでも、人間ゴータマ・ブッダ。
何らかの人種的類似性の存することは否定できないであろう。p.26
非アーリアのシャカ族、ネパール人、日本人。
シャカ族の王が太陽の裔であり、p.29
シャカ族の特異性を考えたこともありませんでしたが、共和制でコーサラ国に従属しながら同等の権威を有していたと。しかも太陽を頂く民。アミタ光信仰の源か?
彼女にはナンダという男子が生まれたという。釈尊にとっては異母弟にあたるわけである。p.44
これで、継母の愛情がナンダに向けられるとすれば、釈尊には居場所はないのかも。この三者の物語はないのだろうか?
ゴータマ・ブッダの生涯はジャイナ教の開祖マハーヴィーラなどと共通である。p.57
出家は、釈尊オリジナルではなかった。出家とは裕福な人に許された流行りなのか?周りもプチ家出と思っていたのだろうか?
王舎城はその首都であったから、いわば当時としては新しい文化の中心地へきたわけである。p.66
出家して七日後に、森や山ではなく、マガダ国の大都会へ行くミーハー釈尊?
彼はシャカ族の王子に軍隊と財力を提供して後援することを申し出ている。(ゾウ軍は当時もっとも有力な武力であった)なぜか?当時マガダ国はコーサラ国と競争相手の関係にあった。p.70
ビンビサーラ王に、シャカ族王子としての政治的なタマとしか見られていない釈尊。
われわれはそこに、最初期の仏教における思想的発達を見出すことができる。そうしてそのある部分は外道の仙人の口にかこつけて説かれているのである。p.90
昔から教科書にも掲載される六師外道。実は外道こそ最先端だったのでは?と昔から思います。
ゴータマはバラモン教一般の生活の道に対して、改革的やウパニシャッドの立場を受けて内面的精神的な歩むべき道を示したのである。p.99
ウパニシャッドを受け継ぐ仏教。
もはやバラモンを尊敬せず、ヴェーダ聖典を遵奉しない人々も多数現れてきた。そうしてこういう変動の中心がマガダであって、ゴータマ・ブッダはそこで修行していたのである。p.101
時代と社会の中の仏伝。城を出てニューカルチャーを浴びたサブカル・ゴータマ。
釈尊に対する悪魔の誘惑の神話は、すくなくともその最古のものについて見るかぎり、旧来の社会的基盤に対する旧い伝統的なイデオロギーと新しい社会的基盤から生まれ出た萌え出る思惟との対立抗争の反映にほかならない。p.102
伝道を妨げようと誘惑するマーラは、社会の保守派だった!
仏教徒は怠けているといったので、仏教徒は自己の態度を擁護し主張する必要が起こった。そこで「中道」が意識的に説かれるようになり、p.124
ライバルであるジャイナ教への後付けの〈中道〉。ここでしか差がつけられない?
ところがゴータマ・ブッダはこの制限を破ってしまった。p.133
今までのインドの最先端であるウパニシャッドは限られた人しか伝えてこなかった。それを開こうとする力と誤解。
南方アジアの仏教僧侶は、えてしてずうずうしくなり、他の国の人々に嫌われることもある。p.142
昔も現代も僧侶への交通での特権。
「若者どもよ。君らはどう思いますか。婦女をたずねることと自己をたずねることと、君らはどちらがすぐれていると思いますか?」p.159
初期の釈尊の若者への問い。何となく中村元があえてこれを引用しているような。
「道の人ゴータマがきて子を奪う。道の人ゴータマがきて夫を奪う。』p.164
舎利弗や目連に去られたサンジャヤ周辺の叫び。完全に拉致問題。
商業資本家が仏教に帰依し共鳴し、それによって仏教教団が急速に進展していった。p.172
武力や呪力よりも経済の力。そこに仏教がハマった。仏教的経済学の誕生。というか、仏教は経済学的思考を内包していたのかも。各宗派の宗門系大学で経済学があるのは伝統的にいいのかも。
アーナンダのとりなしで、ついに条件つきで女人の出家が認められるようになった。p.173
釈尊の義母マハーパジャーパティの出家。釈尊が渋った理由。
『ああ残念だ。われわれは、たかが婦女子に負けてしまった。』p.203
アンバパーリという娼婦に毒づくリッチャヴィ人。有力な人よりも、先に予約していた娼婦を優先する釈尊。
「親鸞は弟子一人ももたず」という告白が、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダのp.208
いきなり繋がるブッダと親鸞。
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