サブカル大蔵経603鎌田東二『日本人は死んだらどこへ行くのか』
学生の頃、鎌田東二『翁童論』に出会って、今でも法話や授業で紹介しています。
完璧を求める、排除する。今の教育、宗教、思想界には鎌田イズムが足りない。
我々は死者の委託を受けて生きている。我々は生きているけど、半分は死者の思いと重なっている。死者と我々の思いが重なり合い、二重構造のような形で生きている。p.248
死者とともに生きる。メメントモリ。
どのように考えれば安心して死んでいけるのか。p.22
死よりも恐ろしい不安。
無縁と思っていた自分が無縁ではなかった。縁の末にいるのを忘れているだけだった。p.84
縁とは不思議なもので…。
今、2ちゃんやSNS、中世の情報拡散は、修験者や漂泊民。p.144
越境する民とSNS。噂と哀しみ。修験道を見直したい。
全く別世界の高野山と違い、都の近くの比叡山は日常と非日常の境。祖師がたくさん生まれた理由。p.205
日常とつながる禅・浄土。
無縁仏の霊は不幸か、を考えるとき、古代と近代、中世と現代が似ている。現代は直葬など無縁、中世も同じ。そこで生まれた芸能、能、謡曲、平家物語などで魂を鎮めた。現代の能があらわれるかもしれない。p.232
「俺の家の話」は現代の能だった。
寺山修司「不完全な死体として生まれ、何十年かけて完全な死体になる。」p.234
等しい。
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