サブカル大蔵経353三田誠広『僕って何』(河出文庫)
生まれて初めて読んだ小説です。高1の時同級生の佐々木君に借りたまま今に至ります。数年前、連絡取れた時にようやく謝ることができました。
最初に読んだ時の、学生運動や全共闘などの描写が生々しく、そして今跡形もないので、未だにこの現象は何だったのか気になり続けています。
今回あらためて巻末の「著者ノート」を読んで、著者の卒論が「ヨブ記と維摩経」だったと知り、なぜ後年著者が宗教関係の著作を出すのかという疑問が氷解しました。
たまたま母親が電気釜を買おうとした時に、おさえていた苛ら立ちの堰が切れた。p.9
電気釜と母親。
「あんた、どこうろついてたのよォ。印刷屋へマスプリのレジメとりにいくはずだったんでしょ。早くもってこないと予定が全部狂っちゃうんだからァ。だいたい執行部室に情宣部員がひとりもいないってのはどォゆうこと。あれじゃあぜェんぜん連絡がとれないじゃない。ちょっとォ、何とか言いなさいよォ」p.17
大学に入り最初に聞こえる声。これが〈大学〉なんだと思いました。
「やめろ、やめてくれ。助けてくれ。自己批判するからもうやめてくれ。B派の活動はしない。もうぜったいしない。僕は田舎へ帰って、ひゃ、百姓をする…」p.121
この描写が一番印象深かったです。
「どうも僕の"夢"は、やはり"夢"にすぎなかったようだな。百人の一般学生を核に、セクト色に染まらないほんとうの意味での"全共闘"運動が展開できると思ったんだが…」p.130/痕跡をとどめているのは、黒メガネの肥った男くらいのものだ。(著者ノート)p.187
著者ノートによればこの人物だけが、最初の構想から残っている人物だとのこと。たしかにこの人だけどこか物語に溶け込めない感じで、実の世界から入り込んだ著者の分身のような感じがしました。
母親の鼾がいちだんと高くなる。その反対側ではレイ子が、いかにも気持ちよさそうな軽い寝息の音とともに、ぶきみな歯ぎしりの音をたてはじめた。p.180
この描写も印象深かったです。
三田誠広さんは続編にあたる『赤ん坊の生まれない日』、全共闘時代の決着をつけるような『漂流記1972』を発表しています(ともに河出文庫)。