サブカル大蔵経782岡倉天心/桶谷秀昭『茶の本』(講談社学術文庫)
和訳でちょうど100ページ。残りは注釈と原文の英文が掲載。日本や東洋を世界に伝えるために茶道が用いられた。後年、梅棹忠夫も別な方法で日本の紹介を試みたが。
現代、日本を紹介するという意義は誰が受け継いだのだろうか。そのチャンスの一つが五輪開会式だったのかもしれない。世が世なら岡倉天心や梅棹忠夫に任せたのかもしれない。どんな風に絵を描いただろう。
原題『the book of tea』がカッコいい。
われわれが知っている人生というこの不可能なものの中に、何か可能なものをなし遂げようとする繊細な企てである。p.13
冒頭の一節。茶道とは、実はかなり能動的な思想なのかも。体育会的というか。
アジア人は、ねずみと油虫を食べて生きているのでなければ、蓮の香を吸って生きていると思い描かれている。p.16
まさか『フォルモサ』の影響?
ひしゃく一杯の冷水を釜に注ぎ、茶を静め、「湯の若さ」をよみがえらす。p.30
陸羽『茶経』。この時から作法細かい。
数奇屋という漢字のもとの意味は「好き〈ファンシー〉[趣味]の家」である。p.51
数奇とは、茶道とは、ファンシーだ。『へうげもの』の織部に近いかも。
正統の茶室の広さは四畳半、十尺四方で、「維摩経」の一節によって定められている。p.54
維摩が釈尊の高弟たちを迎え入れるあの部屋が茶室の原型だとは。
利休は庭に下りて、一本の樹をゆさぶって、庭いちめんに、金色と深紅の葉、秋の錦の小切れを撒きちらした。p.58
わび・さびとは、無ではないのですね。削るだけでもない。自然を作る。英国式庭園とかと比較できるのかな?
花がなくては死ぬこともできない。p.77
花という動けない存在こそ、生涯の友。
宗教では「未来」はわれわれのうしろにある。p.92
いつか、法話で聴いたことがあります。うまく説明できないし、よくわからないのですが。