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【書籍紹介/海外詩集】㊗️ノーベル文学賞!ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

こんにちは。
おとといノーベル文学賞受賞者が発表され、なんと韓国文学者であり詩人のハン・ガンさんが受賞されました。

大好きな作家なので本当に嬉しかったです。カズオ・イシグロの時より嬉しかったかも。
Twitter上でも多くの作家や翻訳者の方々が称賛していてお祭り騒ぎでしたね。

ロシア文学研究者の沼野充義先生が、「世界文学に爽やかな風が吹いてきた」と言葉を寄せておられました。まさに菜の花が一斉に咲き乱れるような文学界の春を感じています。

韓国文学翻訳の第一人者とも言うべき斎藤真理子先生はさっそく電話とメールに追われているようですね。ただでさえお忙しそうなのに、無理されないよう願っています。

翻訳者界隈でも何人か言及されていましたが、ハン・ガンさんはまだ50代前半という若さ。アジアの女性として初めての受賞というのもとても喜ばしいですが、まだまだこれから作品を生み出し続けてくれそうな若さだということも、読者には嬉しいところです。


ハン・ガンさんの代表作といえば『菜食主義者』でしょうか。
ニューヨークタイムズの21世紀文学ベスト100にも堂々ランクインしていました。

(まだ2024年なのに発表が早すぎるとは思いますが……)

また最近では、光州事件を題材にとった『別れを告げない』もベストセラーとなっています。
(ハン・ガンさん自身は『菜食主義者』より『別れを告げない』を読んでほしいと、何かのインタビューで答えていたそうです)

この2作は多くのレビューがありますし、感想を書くだけでも相当な労力を必要とする大作なので、ここでは詩人としてのハン・ガンさんの力量が光る作品『すべての、白いものたちの』を取り上げて、感じた事をつらつら書いていきたいと思います。


詩の素養ゼロでも入っていけた

私の友人は個性的な小学校で頻繁に詩を朗読し、詩の面白さに気がついて、今でも詩集を読むし私に勧めてくれたりもします。
だけど私は、やや荒れた小学校で極めて普通に過ごし、本をあまり読まずに育ち、SFですら読み始めたのは社会人になってから。
なので当然ながら詩というものの特別な面白さというのがイマイチ分からずに、どちらかというと取っ付きにくいと感じたまま今日に至ります。

ストーリー展開が面白いから読み進めていけるSFやミステリなどのジャンル小説から、少しずつ文学というものへ興味が移ってきた今だからこそ、ようやく詩にも関心が湧いてきた。
だけどやっぱり面白いとは思えないんだよな〜という状態で、本著『すべての、白いものたちの』を手に取ったのです。

詩の形式もよく分かっていないのですが、多分「散文詩」というものであり、また小説の趣きもあります。
読み始めは、突然現代アートを見せつけられたみたいに、一体何が始まった?としか感じませんでしたが、あるタイミングからジワジワと、詩人と自分自身が重なっていく感じがしました。

詩で語られる経験が、自分の経験と重なる……という訳では全然無いのです。
著者は長女だけど、実は姉がいたのだということを、ある日母親から告げられるのですが、私にそんな経験はありません。

だけどこれは心の奥底に眠っていたシスターフッドを呼び覚まされるというべきか……
たった一人で子を出産した母親の絶望や焦り、産まれたばかりの命が再び消えていく恐怖や罪悪感、母と子をとりまく暗さと静寂のようなものを全て我が事のように受け止めてしまったし、
「自分に姉がいた!」ということが自分の存在を根本から変え、想像上の姉を心の支えに生きていく著者の心の動きも、全部自分の胸の中で起きているかのように感じました。

途中で、それまでの詩の流れがプッツリ切れる瞬間があり、著者の身に何かがあったんだと不穏に思ったのも初めての経験でした。

普段全く詩を嗜まない私でもこの有様ですから、詩が好きな方がこれを読んだら、途方もない自己変容がありそうです。


生きていくことの覚悟って、これだ

こんな風に、ちょっと危ういくらい自己同一させてくる詩は、しかし私達読者に向けて語りかけたり目配せしたりは一切しません。
時々、小説でも妙に説教くさい文章に鼻白むことがありますが、この詩はただひたすら著者自身の心の内だけを書き連ねていきます。

そこに一つの嘘もないからなんでしょう。私達に向けて書かれていないからこそ、本著のテーマである「覚悟を持って生き続ける」というある種教訓臭いテーゼがストンと胸の内に落ちるのです。

自分の命が自分一人分の重さしかないと思うからこそ、人は自暴自棄になったりする。
数分間だけこの世界で生きた姉の存在が、自分の心に重さを付け加えているから、命を投げ捨てられない、生きていくしかない、という著者の覚悟のようなものが、とても理解できました。

それこそ教条主義的に「命を粗末にしては駄目だ」と繰り返されるよりも、何百倍もの説得力をもって「生きねばならない」と納得させられた感じです。

ここで「姉」の存在が抽象化され、私にとっての(今は亡き)祖父母や曽祖父母、親戚達の「重さ」となり、
そういえば一人っ子だった私の父に、実は兄か姉がいたかもしれない事ーー祖母が祖父との再婚前に中絶していたらしいーーを思い出し、ほんのちょっとだけだけど血の繋がった胎児の重みも感じたのでした。


初めて「言葉の力」というものを実感しました。陳腐で食傷気味のこの言葉が、リアルな実感を伴って呼び起こされたのは驚きでした。
そうか、みんなこの事を「言葉の力」と表現していたのか!と。

ハン・ガンさんの代表作とされている『菜食主義者』はフェミニズムがテーマであり、『別れを告げない』は光州事件がテーマで、どちらもハン・ガンさん自身の経験に引き付けて書かれた傑作です。

『すべての、白いものたちの』は、もっと個人的で、ささやかで、さりげなくて、でも読む人の心の内側に眠っていた記憶や感情を呼び覚ます、不思議な力を持った作品でした。
ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

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