【書籍紹介/海外文学】あんなに嫌がってたのに歴史改変するんかい!ローラン・ビネ『文明交錯』
こんにちは。
なかなかnoteを書く時間がなくて、でも読書はズンズン進んでいくので、改めてアウトプットへたくそだなと落ち込んでいるM.K.です。
もともとこのnoteは、去年ぐらいから海外文学の面白さに目覚めた私が備忘録的にあらすじや感想を残していこうと思って始めた側面もあるのですが、
いくら海外文学に目覚めたといっても、まだまだスムーズに読み進めていけるわけではなく、気分転換として間にSFを挟んだり歴史本を挟んだりしています。
文学作品ばかり読んでるとしんどくなってくるときがあります。
正確には、本当はしんどさを感じているのに、感じていないふりをして、半ば強迫観念的に「読まなければ」と思って読んでいる時があります。
あまり本が身近にない環境で育ち、学生時代もほとんど文学に触れずにきた私には、圧倒的に「文学的教養」と「文字から感情や共感を読み取る能力」が欠けていると自覚していて、そこに危機感を抱いているのです。
危機感を抱いてはいても、文学を読んでこなかった私にはどうしても、文学で描かれる「私的経験」に対して「へー、それで?」と感じてしまう部分があります。不倫の描写なんかは特に。
SFのように社会構造の不条理を正面から取り扱ったり、歴史のように社会構造の変化を追いかけたりするものなら、引っかからずに読んでいけるのですが。
その点、文学とSFの中間みたいな作品はとてもありがたい。
しかも今回紹介する作品は【文学×SF×歴史改変】。文学のしんどさを他の二つがしっかりカバーしてくれる、私のための本か?と思わせられるような仕様です。
ローラン・ビネ 『文明交錯』
ローラン・ビネについては、彼の代表的な著作『HHhH』を別の記事で紹介しています。
『HHhH』はナチス支配下のチェコで、残虐なナチス高官ラインハルト・ハイドリヒを暗殺しようとロンドンから派遣されたパラシュート部隊のお話です。基本的に史実にそって書かれた歴史小説です。
ただしこれ、ただの歴史小説ではなく、著者であるローラン・ビネの視点が所々に挿入され、パラシュート部隊の史実を物語として書き直すことの罪悪感に駆られながら筆を進めていくさまが描かれます。
そもそも歴史を小説にしていいのか?
物語として成立させるために、歴史を捻じ曲げたり、資料が残っていない空白部分を勝手に捏造していいのか?
こうした問題意識を強く持ちながらも、一応小説として完成されています。
例えば以下の一文など、この本の性格を如実に表していて大好きです。
あと冒頭のここも好き。
歴史小説を書いてみたいと思い、安易にそれらしきものを書いてネット空間にアップロードし自己満足に浸っていた私は、著者の叱責にハッとさせられ深く反省しました。本当に無責任で恥ずかしいことをしたな……と。
ところがある日、とあるポッドキャストで書評を流し聴きしていると、ローラン・ビネが歴史改変小説を書いているというではありませんか。
なんでも、インカ帝国がスペインを滅ぼす話らしい。
嘘でしょ、あんなに巷に溢れる歴史小説にぶちギレていたビネが!?
史実大逆転の歴史改変大河
実際読んでみると清々しいほどの歴史改変小説だったので、驚きを通り越してちょっと笑っちゃいました。
物語はバイキングが西ヨーロッパまで侵入してくる時代、つまり9~12世紀から始まります。ここで、後述するとある出来事が起こり、これが歴史改変の火種となっていくのです。
そして大航海時代に突入しつつあるヨーロッパに、ある日未知の大陸から船団が到着し、降り立ったのがマヤ帝国(史実では)最後の皇帝アタワルパとその妃や側近たちでした。
彼らは祖国マヤの豊富な金を背景に、宗教戦争真っ只中のヨーロッパで次々と敵対勢力を打ち破り、庶民を味方につけて諸王国を滅亡させ、やがてヨーロッパ世界の覇者になっていきます。
簡単に言ってしまえばこんな感じなのですが、まずマヤ帝国をはじめとする複雑な攻防の歴史が著述され、さらにヨーロッパ世界のもっと複雑な諸国間の政治的・宗教的な関係をしっかり書ききり、そこに異質の存在アタワルパを嵌め込んでシミュレートしていく……という、大変な労作になっています。
マヤ文明の歴史・文化・宗教。中世ヨーロッパの生活世界・大衆文化・宗教。地中海の都市国家の在り方。宗教改革史。各国の政治的利害関係や王族の血縁関係。言語、衣服、食事、愛玩動物にいたるまで、まさに網羅的な人文知を駆使して、突拍子もない歴史改変を「本当にありそう」なリアリティまで昇華させているのは驚嘆です。
一体どれだけ勉強したらこんなもの書けるようになるのでしょうか……。
緻密に調査されたマヤ・アステカの文化
やっぱりなんといっても著者のメソ・アメリカ文明の解像度の高さが素晴らしいと思いました。私はメル・ギブソン監督の「アポカリプト」という映画でしかこの文明に触れたことがないのですが、特に激烈な生け贄の儀式の部分と言語の部分で知らないことがたくさんあって、文化人類学的に非常に楽しめました。
少しネタバレになるのですが、物語の後半にはアステカ文明の人々も登場し、彼らの方がすさまじい生け贄儀式を持っていて、マヤの人々もちょっと引く……という描写が面白かったです。ルーブル美術館がとんでもないことになるのも。詳細はぜひ本著を読んでいただきたいです。
メソ・アメリカ文明が特別非人道的というわけでも、逆に人道的というわけでもなく、また「遅れている」「進んでいる」という評価も不当であり、そのようなジャッジをすること自体が問題をはらんでいると思いますが、本作はちょっとだけマヤ皇帝アタワルパが庶民のヒーローぽく描かれていて、そこだけが少し引っ掛かります。
でも、こうして反論の余地がないほど緻密にマヤを描き、それを西洋に移植させることで、西洋文明を歴史の観点から相対化してみせようとしたということでしょうか。
常に歴史に残らない弱者の側に立とうとする著者の、強い意思が感じられました。
歴史改変SFの醍醐味① 改変の種まき
ところで、時間改変SFと一口にいってもいろいろあり、あえて類型化するなら以下の通りになるでしょうか?(ファンの方々の反論お待ちしています)
1 タイムスリップした人物が過去に干渉して歴史を変える
(レイ・ブラッドベリ『サウンド・オブ・サンダー』など)
2 未来のテクノロジーによって、間接的に過去に干渉し歴史を変える
(恩田陸『ねじの回転』など)
3 偶然史実とは異なる事象が起こり(あるいは説明されず)、歴史が変わる
(フィリップ・K・ディック『高い塔の男』など)
4 時間軸自体が入り乱れていく
(宝樹『金色昔日』など)
本著はこの中では3に当てはまるのですが、実はこれは最も古いタイプで、その歴史は1836年にフランスの作家ルイ・ナポレオン・ジョフロワ=シャトーが書いた『ナポレオンと世界征服』という小説まで遡るようです(赤上裕幸『「もしもあの時」の社会学 歴史にifがあったなら』より)。
これはナポレオンがロシアとの戦争に勝利し、世界制覇する架空の歴史を描いたもので、フランスでは今でも版を重ねるくらい人気だそうです。
ローラン・ビネもフランスの作家ですから、そうした著作にも触発されているかもしれませんね。
いずれにしても歴史改変SFでは、歴史のどのポイントを改変するか?の見極めが作者の腕の見せ所かもしれません。
インカ帝国がヨーロッパを進攻するという史実大逆転ともいうべき歴史改変の火種は、
"たまたまバイキングの集団のひとつが大西洋をまわってアメリカ大陸にたどり着いた……"、ただそれだけです。
著者はジャレド・ダイヤモンドの『銃・病原菌・鉄』を読み、この作品の大筋を思い付いたということですが、ここには少数のスペイン人侵略者コンキスタドール達にマヤ帝国が負けてしまったのは、彼らがもたらした病原菌にマヤ人たちが耐性を持っていなかったから、そして鉄製品の技術がなかったからだとあります。加えて大型家畜(馬や牛)がいなかったことも弱点になったと言われています。
ならば、アメリカ大陸に流れ着いたバイキングがそれらを既に持ち込んでいた、ということにすれば、スペインに勝てるんじゃないか?と考えたわけですね。
本著の冒頭で、まさにこの部分が口語伝承風に、神秘的に描かれます。
続くコロンブスの時代には、銃が持ち込まれます。ただし史実とは異なり、コロンブスは再びヨーロッパの地を踏むことはありませんでした。
原住民がすでに航海用の船を知っており、病原菌の耐性も持っていて、さらに鉄器も持っていたため、コロンブスに勝ち目はなかったのです。
こうして、インカ帝国がヨーロッパを席巻する準備が整えられたわけです。
ひょんなことから、はぐれバイキングがアメリカ大陸に漂着した……。
たったそれだけのことが、世界史を大きく改変する火種になる。
この《必要十分条件》な感じがたまりませんでした。
歴史改変SFの醍醐味② 改変後の世界
歴史改変SFのもうひとつの醍醐味は、歴史が改変されたあとの世界をどのように構築するか?でしょう。
先述した『ナポレオンと世界征服』では、ナポレオンがロシアを破り世界の覇者になる架空の未来が提示され、フランス人の愛国心にリーチしまくりました。
あるいはフィリップ・K・ディックの『高い塔の男』では、第二次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが日本の属国になっているというような驚きの歴史改変世界が展開され、日本領アメリカの驚くべき世界観が提示されます。
では今作はどうなるかというと、皇帝アタワルパは自らの圏域を守るために、積極的に自らの親族や家臣を西洋諸国の王族たちーーハプスブルク家やヴァロワ家ーーと結婚させます。
こうしてヨーロッパ風とマヤ風の名前が入り交じった国王や女王がヨーロッパに爆誕していくのです。
また、ローマ・カトリックをはじめとする宗教もマヤ人の流入によって大きく変化し、「太陽教」という新興宗教が流行しました。というより、史実における宗教改革が、カトリック→プロテスタントではなく、カトリック→太陽教に置き換えられていくのです。
こうした、ヨーロッパの根幹をささえるような部分が大きく改変された世界が最後に描写されるわけですが、まるで本当にマヤ文明がかつてヨーロッパを席巻したかのように、王族の名前や宗教に歴史の重みみたいなものを感じるのです。本当はそんな史実はないのに、歴史の悲哀みたいなものを感じてしまう。そこが非常に魅力的でもあります。
最後に、あんなに歴史に手を加えることを嫌っていた著者が、なぜこんなに大がかりな歴史改変小説を書いたのかということですが、
彼は、歴史というものの残酷さに立ち向かいたいのかな、と思いました。
チャーチルの「歴史は勝者によって書かれる」という言葉の通り、戦争に負けた側の歴史というのは傍流に追いやられてしまう。
また、私の好きなコーマック・マッカーシーがこんなことを書いています。
マヤは文字を持ってはいましたが、スペインによる侵略の過程で多くが焚書されてしまっています。また、本作のなかでアタワルパが結縄によって記録をつくるシーンがあったり、本のことを「しゃべる箱」と呼んだり、明らかに文字文化圏ではないことが示されています。
マヤに限らず、文字を持たなかったり文字を奪われた地域の歴史は、「歴史」の中から消えていくかもしれない。著者はそこに危機感を抱いているのかなと思います。
『HHhH』の最後にも、ナチス高官を暗殺したパラシュート部隊員の名前は残っていても、危険を承知で彼らをかくまった市井の人々のことは歴史に残らないことを嘆く文章がありました。
歴史から消えていってしまう存在に常に関心を寄せ続ける著者の、渾身の訴えこそ、この歴史改変大河だったのかなと思います。
主流の歴史に埋もれたミクロの歴史の中にこそ、最も大切なことが隠されているのではないか?
カロリー高めの作品ですが、是非多くの方に読んでいただきたいです。
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