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摂食障害辛いよね。

皆様、こんにちは。藍みかげです。大学の最終課題が一段落ついたので、結構ヒマな時間を過ごして、、、いるんですが、ここ2週間、過食の波がきています。つらい。

摂食障害と聞くと、体重が30キロ台になるとか、手足を拘束されて点滴を打たれるとか、そんなイメージを持つ方も多いですが、精神的なバイアスによって適切な食事量をとれないという意味では当てはまる人の数も急増します。勘違いされがちなのが、摂食障害って「やせ」だけが当てはまるわけではないんですよね。私自身、30キロ台まで体重が落ちたことはないので、自分が摂食障害だと言うのは憚られました。

そもそも、私が摂食障害になった理由は、母に体型を馬鹿にされてきたから。小学校時代に柔道を習わされていたんですが、それを理由にひたすら体重を増やすように言われていました。小学校6年生の時に身長156㎝で体重がMAX66キロ。勿論、同級生たちからも「太ってる子」という認識をされていました。私の母は、若いころはかなりスレンダーだったようで、「そんなに体重増やせるなんてすごいねぇ(笑)」「母さんが若いころの倍くらいじゃない?(笑)」等々。「たいしたことない」っていうかもしれないけど、これ毎日ですからね。10歳そこらの子供が言われて、何も感じないような言葉ではなかったですね。

 こんな感じで母にデブを嘲笑されていたわけなんですが、難点だったのが母のいる前ではダイエットができないんです。以前のnoteから申し上げている通り、私の母は俗に言う毒親。その中でも、「過干渉・支配型」に近い人でした。母自身、幼少期の家庭環境の後遺症から、「必要とされたい」という承認欲求、見捨てられ不安がめちゃくちゃ強い。特に台所の仕事という母親の仕事を象徴するものに対しての執着心が強かった印象です。お弁当が絶対手作りだったことからも察せると思います。「私が頑張って料理を作ってあげてるのに、食べないってどういうこと!?」って感じ。ダイエット=母の料理を拒絶すること=母としての仕事を失う=必要じゃなくなる みたいな感じですね。だから、ダイエットしようとするとなにかと理由をつけて不機嫌になっていました。

ですが、私も中学生。思春期に入り、容姿へのコンプレックスに嫌でも自覚させられていきました。田舎から都会に引っ越したタイミングでもあったので、あか抜けた同級生たちを見ていると太っている、ブスな自分が浮いているように感じました。小学校で「転校生」だの「太っている」だの諸々の理由でまあまあな事をされたんで、浮かない程度に容姿を整えなきゃって焦りが出てきました。
 顔は整形しない限り変えられないから、とにかく体型をどうにかしよう。でも、母のいる前でごはんを食べないわけにはいかない。最初は過食嘔吐で一度飲み込んで吐き出していましたが、過食嘔吐って、例えば10食べたからといって10吐き出せるかというとそうではない。私は2,3割ぐらいしか吐き出せなくて、「やばい、7割分太っちゃう」そんな感じで断念。そこで「チューイング」という飲み込まずに吐き出す方法に切り替えました。食事中に何度もトイレに立つ私を多少は不審に思っていたかもしれないけど、兄との喧嘩に夢中だった母は私に興味を示しませんでした。
 学校の給食でも、事前によそわれた量の5分の1ぐらいまで減らして、牛乳は食缶に戻して、、、みたいな感じ。中3の担任に「それ嫌いなの?」と聞かれて苦笑い。ダイエットって言えなかったです。

 そんな生活を続けていると3か月で13キロぐらい落ちました。でもそこからは停滞期。極度のストレスも相まって、代謝が極端に落ちていたんです。毎日強い眩暈にさらされて、体育の授業はフラフラになりながら走る。でも、全然モデル体型には届いてなかったから、「なんで減らないの!?」ってむしゃくしゃして。このころから1日に体重計に8回以上乗る癖がつきました。(19歳まで続きました)前回よりも500g増えていただけで泣いたりとか。今思うと異常ですよね。そりゃ、1日のうち朝が一番軽くて、そのあと水飲んだりしてるんだから。でもその時は前回の計量から数字が減ってないと許せなかった。
 中2の2月後半。急に食のブレーキが外れて、食パンを分厚く切ってバターを信じられない量乗せてそれを飲み込むように食べました。もう一回やってしまうと止まりませんでした。たった1週間で4キロ増えて、そこから高校卒業まで体重が全く落ちなくて、ひどいときはパスタ3人前を一食で食べたり、1日5回カレーを大盛食べたり。「おいしい」って感じないんです。ただ、口と胃を満たすだけの行為。私の場合は拒食よりも過食の時のほうが圧倒的に精神的に苦しいです。今でも、過食の時は地べたで菓子パンをむさぼりながら泣きます。でも止められないんです。

 その後、うつ病の療養も合わさって体重が43キロまで落ちました。その頃は白湯みたいなおかゆぐらいしか受け付けなくなっていました。ですが全く焦りなんてなく。むしろ「痩せて嬉しい!!!」ってだけ。するすると落ちていく体重を見るのがうれしかった。服屋の店員さんに「心配になるくらい痩せている」と言われて舞い上がるくらいうれしかった。
 
 そんな中、私の摂食障害における転機は学生証用の顔写真を撮ったとき。頬がくぼんで、目の下が真っ黒で、髪が短めだったから、痩せすぎて男か女かも微妙な見た目になっていて。「あれ?」っておもったんです。体型にしか意識がいっていない。もっと言うと、私は足が太くて、足の細さしか見ていなかったことに気づきました。その写真を見た後に、姿見の前に下着姿で立ってみたら、あばら骨がびっくりするぐらい浮き出て、代謝が悪くて、血の巡りが悪いから肌も薄黒いような元気のない色で。自分の全体像をようやく目にして「体重計の数字=美」が私の中で崩れ落ちていきました。
 
 そこから一人暮らしが始まって、体重もかなり戻りました。正直、怖かったけど、良い食事を続けていくと肌や髪が見違えるように綺麗になりました。勿論、過食にも、拒食にも苦しむし、「体調を崩してでも痩せたい」という気持ちはいまだにあります。
 
 「そのままでいいんだよ」という言葉は私にはあまり刺さりません。体型に対して病的に悩んだことが無い人になにかコメントされるのが嫌なんです。そんな一言で終わらせないでよって感じ。いろんなことに言えるけど、安全な場所からの援護射撃は逆に当事者を傷つける。言っている本人は気分がいいかもしれないけど、それが逆効果になることって多いですよね。表面上では「ありがとうございます!」っていうけど、実際はより孤独感に苛まれることのほうがとても多い。だから毒親とかうつ病とか、摂食障害も、私は私の話をするだけで、「○○って××なんです」とかいう概念の話は基本しないようにしています。他人を傷つけてまで自分の主張をしなければならないときというのは生きている間でごくわずかだと思っているから。

 若干話がずれてしまいました。そんな私の摂食障害の変遷のお話でした。過食辛いよ~。痩せたいよ~。シンプルにこんな感情ですってだけなんですけどね。どこかにいる当事者の一人の力になれればな~って感じで書きました。今日も生きてる。えらいえらい。


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