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ふと思い出した最後の学年集会

 2022年12月29日21時52分。クリスマスから年の瀬は人とのつながりを街中で嫌というほど見せつけられる。こんばんは。まこ、、違う。みかげです。
 バースデーランウェイが終わったのでこのnoteを本格的に私物化しようと思って私が小説を書くとき(言うほど書いてないけど、、、)に使っているペンネームでやっていこうかなぁと思います。「みかげ」って言葉は以前テレビで墓石のことを御影石(みかげいし)と呼ぶと知って、死にたいと毎日願っていた私が「病んでるわたしに似合ってる」とかいう適当かつ不謹慎な理由でつけました。響きも良いし実は結構気に入ってる。
ただひらがなだけだとちょっと締まりがない感じがするから漢字の名字がほしいんですよねぇ。「湊かなえ」みたいな。なんかいいやつないかなぁ。

 まあ、そんな話は置いといて。実はクリスマスあたりからまた身体が悪くなっていて、ここ最近安定していただけにやられました。ここ一年治まっていた過呼吸が起きて、バイトも毎日早朝から、、みたいな生活。バイト入りすぎなんですよね。分かってるんですけど、お金が必要なので致し方なく。来年からは働き方を変えていくつもり。それが吉と出るか凶と出るかはわからないけど、やらないと私はずっと縛られていくだけだから。とりあえずやってみる。そんな感じ。

 そういえば、久々に高校を卒業する前に先生に言われたことを思い出しました。学年集会?みたいなやつ(もう記憶が、、)確か女性の体育教師だったような。「置かれた場所で咲きなさい」って言葉。全校集会は私にとって格好の睡眠の時間だったので、起きたら退場が始まっている事の方が多かったんだけど、このときは何故か最初から最後まで起きていて、卒業式前最後の学年集会だったから?かな。最後くらい真面目に聞こうと思ったのか知らないけど、この言葉は何故か今でもよく覚えてる。

 当時18歳の私にとってはこの言葉は死ぬほど胸糞だった。「あーね、置かれた場所が恵まれていれば枯れる心配なんてないですもんね」って、世間一般的に中から上流階級くらいの暮らしをしている同級生達と比較して家族にも健康にも恵まれなかった自分の境遇に苛立ちMAXな状態で、私はそんな感想しか出てこなかった。(性格悪すぎゴメンナサイ)
 
 あれからもうすぐ4年が経つけど、実は今でも半分くらいは思ってる。この言葉は「置かれた場所」が肥沃な土地だった人にしか刺さらない言葉だって。
 でも、最近、それこそバースデーランウェイに参加して「幸せ」について考えることが増えて。私が当時羨ましくて、憎くて仕方なかった高校の同級生達の幸せと私の幸せは少し違う。

 彼女達は幸せをその瞬間に感じてる気がする。努力が実った瞬間。家族、恋人と過ごすその瞬間。欲しい服を買って身につける瞬間。「今、私幸せ!」って。なんていうんだろ、幸せの要因と自分の感情がほぼ同時にやってきてるような気がする。つまり、今も過去も未来も継続的に幸せを感じやすい。

 私はというと、正直いつからか忘れたけど、感情が全然自分で感じ取れなくなって。笑うタイミングっぽいなぁと思って「ははは」って笑ってみたり、シリアスな空気っぽいから真顔を作ってみたり。感情が死んでしまっている。でも、最近、例えば親友とあった後、あの時間良かったなと思うことがちょくちょくあって。私は幸せをその場で感じ取れない。私は後ろを振り返ったときに結果として「あれ良かったなぁ」と幸せを感じるんだと思う。語彙力無くて伝わらん(涙)
 要は、自分の人生をふとふりかえったときに「これで良かったのかもしれない」っていう感情が私が感じれる幸せの最大値。18歳までの私は「私だってお洒落でかわいい服が着たい!」「都会の女の子みたいにライブ行って、インスタ映えなレストランでご飯したい!」「将来は結婚してウエディングドレス着たい!」こんな普通の家に生まれていれば手が届いたモノ達への諦めがつかなかった。
 
 高校卒業後は家庭の事情と自分の病気の関係で、専門に進学したけど、身体の限界が来て週1のペースで救急搬送されて、挙句の果てにはショッピングモールで倒れて丸一日目が覚めず。起きたらまさかの集中治療室にいたし。それから学校辞めて、自宅療養&勉強してたけど、親の前では休まるものも休まらない。逃げるように今の場所に来て、大学の勉強は結構楽しくて。でも常に親に支配される恐怖でお金を稼ぐことでそれを紛らわしてる。バイトで疲れて、大学は基本すっぴんで行ってる。頻繁に美容室に行ってるであろう大学生達の横をデカめのマスクと前髪で顔を隠しながら通るとき、虚しさしか込み上げてこない。

 でも、今年一年、理系の研究に初めて触れてみて、これがめちゃくちゃ楽しくて。「飛び級で大学院いく」って初めて怒りとか、そんな感情抜きで目標ができた。私が死ぬ気で働く理由はこれ。今年一年ふりかえって、このためにバイト頑張ってきた自分、悪くないねって。いや、キラキラはしてないよ?ただ、芋大学生が芋なりに一生懸命やってるのは褒めていいのでは?って思った。まあ、結局は妥協なのかもしれませんね。

 何が言いたいかって、さっきの「置かれた場所に咲きなさい」の意味を自分なりに考えてみた結果、「自分の感情の収束地点は決まっている」なのかなぁ、と。今からどうあがいても、多分私は幸せをその瞬間と共に感じれる人間にはならない。それは生きてきた環境しかり、自分の性格もあると思うけど、私は彼女達と違うタイプの人間であることを自分で納得しなければならない。それがたとえ生きていく上で非常に不便であっても
それが私。認めなきゃいけない。あの先生はそんなつもりでは言ってないんだろうけど私はこう解釈して少しだけこの言葉を受け入れられる気がする。 

もうすぐ2022年が終わります。身体がうまく働かなくて不安しかない。怖いです。いつもだけど。やれるとこまでやる。すごく消極的に聞こえるかもしれないけど、私はこんな感じで自分を落ち着ける人間なので悪しからず。
 
 2023年は、そうだなぁ、とりあえず新しいバイト先探してお金をひたすら稼ぐ、生物、化学の勉強、あとは、新しいバイトが上手く行けば通院したいですね。あ、あと、こないだYouTubeで見つけたメーカーズ・マークというバーボンを飲んでみたいです。結構やりたい事あるなぁ。とりあえず無事に年を越そう。←これ一番大事
 皆様も良いお年を。

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