気づいた頃には-高校1〜2年-
必死に勉強して、憧れだった高校に入学。兄が荒れていたこともあってか、人生で初めて母の興味が私に向いたんです。「これで少しは家も静かになるだろう」そんな甘い期待を抱きながら、私の高校生活はスタートしました。
上流階級の世界とぽっとでの私
高校生活が始まって、驚きました。どちらかというと治安の悪い小、中学校を出た私。授業中、授業をすっぽかすような子もいなければ、雑談すらも皆無。さらに、同級生と話せば親兄弟が当たり前のように名門大学を出ている。「塾なんて…」と言われて育った身としては、教育、進路選択にお金をかけてもらえるみんながとても羨ましかった。
あとは、「ブランド」があまりにも身近にあることを知りました。「Dior」「CHANEL」「Louis Vuitton」「Samantha」名前しか知らなかったようなものを当たり前に持っていたり、親に買ってもらったり、友達にプレゼントしたり。(Dior見て「だいぉわー?」とか読んでた笑)とにかく生活水準の高さにびっくりしました。ブランド品とかは持っていなくても、私みたいに学費や生活費にキリキリするような家庭の子はほとんどいなかったと思います。
そして中学までとの大きな違い。みんな家族と仲良しなんです。インスタとか見ても結婚記念日とか母の日とか、なんでもない日でもお母さんと旅行したり、ショッピングに出かけたり。中学までの友達は結構家庭環境が複雑な子が多くて、あまり感じなかったんですが、高校に入って「家族を愛せない未熟者」みたいなレッテルを自分に感じ出しました。
変わらない母、諦めた兄、何も無くなった私。
家はちょうど兄が大学受験の年。進路選択で母と兄の意見が衝突、、、となりそうだったんですが、もう兄には母と立ち向かう力が残っていなかったのか、兄の進路は完全に母の思うツボとなりました。私が中学生だった時から明らかに弱々しくなっていった兄。なんとか大学には合格しましたが、自分の思うような進路に息子が進んでくれて喜ぶ母をよそに、私に対し「大学はちゃんと選べよ」と諦め切ったような顔で言った兄。ここでようやく家庭の問題が母にあると気づきました。
そして自分の身体も看過できないほど悪化していました。この頃は専ら過眠状態。1限目から気づいたら3限が終わりそう。眠気のせいでご飯もあまり食べれなくなりました。自転車に乗っている最中に手足の力が抜けて、横断歩道のど真ん中で自転車ごと倒れたり。でも、「ただ疲れてるだけ」「自分の体力がないだけ」と私は耐え続けていました。
高2年からは進学で兄が出ていったこともあり、母と二人暮らし。地獄でした。もう口を聞くことも苦痛だった。でも、私が返事をしないとまた怒鳴られる。リュックの中、ゴミ箱の中まで探られる。また怒鳴られる。たまに叩かれる。耐えきれなくて深夜徘徊したこともありました。家から出ないと自分が加害者になりそうで。事実我慢の限界で母にやり返したり、ものを壊すことがしばしばあったんです。止めてくれる人がいない恐怖もあったんだと思います。とにかく逃げたかった。そればっかりでした。「頼むから離婚してくれ、頼むから消えてくれ」ずっとそう思っていた。同級生にそれを言えば「うわぁ、、、」って。今思えば当然ですよね。この頃は確かに私にも非があったと思います。でも、私か母、どちらかが消えないと苦痛がなくならない、そんな状況にまでなっていたんです。どうやったら上手く周りに伝わったんでしょうかね。どうすればみんな私の味方になって助けてくれたんでしょうか。高校に入ってからはみんな敵だっていう感覚です。学校も居場所じゃなくなった。気がついたら文字も読めないくらい身体が疲弊していました。
あとがき
最後まで読んで頂きありがとうございました♪理解されないってめっちゃ辛い!!!何もできなかった高校3年間。でもいろんなことが変わったのもこの時期かもしれない。次回は高3の事書きます!ようやく病気に気づきだします(遅い)
次回も是非お付き合いくださいませ☀️
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