自分の命が大切だと思った。だから親を切る決断をした。
唐突に書きたくなって久々に個人のnoteを書きます。バースデーランウェイが終盤に差し掛かって、自分に向き合う事を突き詰めたいと思ったんです。
一週間くらい前、母からのメールがスマホの通知に入っていて、恐怖で冷や汗が流れた。内容は毎月の事務連絡。特別なことではないのになんでこんなに自分が反応したのか分からなかった。もしかしたら、この一年、自分と向き合う中で親と決別することが自分の心の中で揺るがないものになってきたのかな。その決意を揺らぐ事は私の命に関わる事だから、それが恐怖になったのかも。
将来親と縁を切ると決意したのは19歳になる直前だった。父を交えた話し合いで18年分の苦痛を訴えたところ、見事に突っぱねられてしまった事。その数ヶ月前、意識不明の状態で救急搬送された私。文字通り命がかかった訴えのはずだったが、両親にそれは届かなかったらしい。彼らに私の苦しみを理解してもらうにはもう私が自分の命を犠牲にせざるをえない。もしかしたらそれでも彼らは私の苦しみを理解することはない。このときに、親元にいることが自分の死に直結すると私は理解しました。
私の親は本当に毒親だったのか?ずっと私が自問自答し続けている問い。母がおかしくなった原因は母が生きてきた環境のせい、私がおかしくなった原因は地域差別や変化の激しい幼少期、過度なダイエットや睡眠不足等等、一個には絞れない。他の要因が拭えない以上、母を毒親と呼ぶことは正しくないのかもしれない。でも、これらのことが頭で分かっていても、自分の身体が親との再構築を拒絶する。自分が自分の命を守ろうとしているんだって思います。
「毒親育ちは〜」という主語で当事者の苦痛をひとまとめにするのは好きではありませんが、親と決別すると決断した人々の家庭では、家族との共存とその人の命の保障が同時に成立することが不可能だったんじゃないかと感じます。「自分の親を毒親だなんて、、、」「親も完璧じゃないんだから許してあげたら?」そんな言葉に不快感を示すのは私達が命をはってきたから。声を大にして叫びたい。私にとって私の命は何よりも重いんだって。
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