「二択」は二択じゃないかもしれない
「う〇こ味のカレー」と「カレー味のう〇こ」
どっちがいい?
誰もが一度は聞かれたことがあるであろう、文字通りクソみたいな質問。
一部の特殊な方々を除けば、味がどうであれう〇こよりはカレーがいい。
そういう回答が多いのでしょう。
もちろん、これはあくまで例え話なので、どちらかひとつを選ぶべき質問なのですが、
本当は、(大抵の人は)「どっちも嫌だ」が本音のはずです。
同じような話だと、例えば、
「めっちゃ性格悪い美人」か「めっちゃ性格良いブサイク」どっちがいい?
みたいなのもありますが(ちょっと言葉は悪いですが)、
「いや、どっちも嫌だよ。めっちゃ性格良い美人がいいに決まってんじゃん」
というのがごく普通の答えではないでしょうか。
今挙げた二つの例は、あくまで会話のタネとしての例え話なので何と答えようと構わないのですが、
こういう「究極の二択」は、人生のいろんな場面で訪れるものです。
しかし、その「究極の二択に見える二択」は、実際には二択ではないことも少なくないと思います。
もちろん、本当にどちらか一つだけを選ばなければならない場合もありますが、
基本的には、「AかBか」という二択には、
・どっちも嫌
・AもBも両方
・AでもBでもないC
などの選択肢があるはずです。
「Aを続けるか、Aを辞めてBをやるか」
→Aを続けながらBもできるのではないか?
「次のリーダーはAさんかBさんか」
→実はCさんの方が適任なのでは?
「Aを買うかBを買うか」
→どっちも今は買う必要ないのでは?
何においても言えそうです。
こうやって抽象化して言ってしまえば、至極当たり前のことのようではありますが、
「二択のような二択」で深く悩んだり、焦ってそんなに気が乗らない選択を下してしまったりしたことはないでしょうか?
選択する権利があるということは、自由であると同時に、時にストレスフルで責任を伴うものです。
重要な選択であればあるほど、人は周りが見えなくなるものです。
選択に困ったときには、一度立ち止まって俯瞰的に見て、「本当にその二択しかないのだろうか」と考えてみるといいかもしれないですね。
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