無駄を楽しむ|悲観主義から距離を取る
なりたい自分になる方法で、楽観と成果の関係を書いた。
同じような悩みというのを持つ人が多いのではないかと思ったからだ。
悲観主義が無駄だと思ってもらうのとは違う。
悲観があるから、楽観を探せるという話。
そこで今回は無駄について書いてみたい。
無駄なことをした!?と思うと、それが悲観につながるからだ。
私は無駄を認識して無駄を楽しみたい。
■無駄無駄ッ
私はIT作業の無駄を省くプロを自称しているけれど、一方で無駄は贅沢とも思う。
無駄には、良い無駄と悪い無駄がある。
例えば、勉強した結果「成果が出なかった」と悩むのは良い無駄で、勉強する前から「自分はダメだ」と悩んで諦めるのは悪い無駄。
前者は贅沢な無駄で、その場の成果だけにとらわれない「点の視点」がなくなると次に繋がる無駄だ。
後者は、何もならない無駄だ。
でも、それでもいい。
いろんな人がいて人間であり、人生だと思うのだ。
多様性を認めるというと壮大な表現だが、物事に絶対はなく、またそれぞれの心の中に絶対が潜んでいると思う。
そこには常に無駄も隠れている。
だからこそ、悪い無駄は極力省いて行きたい。
そのためには先人の知恵を得ることも重要だが、気になることがある。
SNSの有益Tweetだ。
■ああしろこうしろが溢れるSNS
好意のアドバイスなのか、強い意見を言うとフォロワーが増えるのかよくわからないが、Twitterを見ていると「ああしろこうしろが溢れている」
有益なTweetをしろ!とか、熱いメッセージ!が溢れている。
もう名言だらけなのだ。
こりゃ若い人はInstagramやTik Tokにいったほうがいいや。
見る人が見れば説教の塊だもんな。
そんなことを考える私も「こうじゃないかな?」ということをつぶやいたりする。
アドバイスというよりは「事実を書く」という感覚だが、説教といえば説教だろうと思う。つまんねーやつだ。
このSNSで見る説教も、それぞれのアカウントがだいたい同じようなことを別の言い方で言うわけだが、それ自体が無駄に感じる。
私から見ると、無駄が重なって巨大なフォロワーを抱えるアカウントが出来上がるように見える。
しかし、これはポジティブに活動することで成果を生んだのだから尊敬すべきことだ。
私が説教を良しとしないだけで。
気質が違うのだから当然だ。
■気質と悪い無駄
そもそもの気質が違うのに、誰かを真似て無理に自分を変えようとすることは、悪い無駄にならないだろうか?
もっといえば、冷静なタイプが急に熱いタイプに変わることで人生が好転したとしたら、それは本人にもともと熱いタイプの気質が眠っていたのよ。
急に人間は変わらない。
有益だ熱いだのをやってみて自分には合わなかったことが、気持ちが落ち込むきっかけになるなら、それは本当の無駄だ。
あなたにはあなたのやり方があり、いいところがあるのだ。
あなたが活躍できるフィールドは無限にある|死にたいくらい落ち込んで悩んだ時に思い出して
■SNSマーケティングの実際
「SNSで説教」と書いたが、SNSでは宣伝をするなと言われる。
マーケティングのプロ中のプロの意見なので、そうなんだろうなと思う。
宣伝しないで何をするのか?
コミュニケーションだと言われた。
SNSはフォロワーや未来のフォロワーとのコミュニケーションをする場なのだと。
宣伝なんか誰が見たいんだよと。
そう言われると返す言葉もない。
SNSで宣伝は無駄だ。
会話を誘発するようなTweetが求められるのだ。
そうなると私はだいぶ失格だが、SNSの運用コンサルとサポートもよく頼まれるので、ここは是非オフレコでお願いしたい。
参考ページ
SNSの運用と利用(大手企業さんは特に導入時に御注意を)
SNS運用担当者の向き不向きを判定する|NPDとSNS炎上
SNSのマーケティングとしては、説教よりも対話が好まれる。
これを知ると確かにSNSの無駄が減る。
■無駄を無駄として認識すること
ひとつひとつの普段の行動を見直してみると、無駄な行動は多いと思う。
私は朝起きると洗面所に顔を洗いに行くが、洗った後に一度リビングに戻り、また洗面所に歯を磨きに行くということがよくある。
意味不明だと思うが、私もそう思う。
モーニングルーティンとか、そんな洒落たものではない。
ただ、この無駄で未来が何かが大きく変わるかというとそうでもないはずだ。きっと。
東京地方で、電車に駆け込んで乗る人をよく見かけるが、すぐ次の電車は来る。
申し訳ない言い方だが、この電車に駆け込んだことで、この人の人生はどれくらい得なのだろうかと考えてしまうことがよくある。
無駄は無駄としてあっていいと思う。
私は無駄を認識して無駄を楽しむことで、人生が豊かになると思っているのだ。
電車はゆっくり乗るし、おかげで田舎の電車で50分駅でぼーっとするといったことを定期的に繰り返していたこともある。
これでいいと思う。
私の仕事は無駄を極力排除するのだが、あえて無駄を受け入れもしたいのだ。
そうやって無駄を楽しむことで、悲観的な感覚を遠ざけられるのだと思う。
忙しい中で、休日にわざわざ遠くの避暑地に出かける。
家でゆっくりすればいい話だ。
無駄ができるということはお金のかからない贅沢なのだ。
今日も私は無駄なことをしようと思う。
楽しんで無駄を受け入れたい。
▽次回
そこで私なりに究極の無駄を考えてみたので、買い物をしてきた。
動画でもご紹介するのでお楽しみに。
なんという無駄だ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。 書くだけでなく読みたいので、コメント欄で記事名入れてもらうと見に行きます。