【グアム旅】Thank youしか言えなくて〜亡き友に捧げる旅行記🕊️〜
アロハ〜、Moanaです🌺🤙🏻
たくさん旅をしてきた私でも、
忘れられない旅は?
といわれると1番初めに思いつくのがまさかのグアム🇬🇺
18歳、英語できない普通の大学2年のリゾート旅🏝️
リゾート地でこんな旅の仕方した人もなかなかいないんじゃないか?と思う。
この旅のおかげで私は英語が話せるようになった🗣️
ワーホリも行ったし、エアラインで働いたし、沖縄に住んだし、世界中に友達もできたし🌏
海外で現地採用としても働けたし🇹🇭
本当にone of my ターニングポイント🌺
本当の思い出だからずっと心に残しておいたけど、当時の友人にはもう会えないからここに記して祈りを捧げよう…🕊️
ビーチで出会ったボブマーリー
19歳の大学生だったyoungな私は大学の友人と
格安ツアーが売りだったグアムに行くことにした。
(当時航空券&ホテル込で6万くらいだった笑)
グアムといえばタモンビーチ!
あまりにも日本人が多いグアムに安心感を覚えつつ、
海外感が得られない刺激のなさにも幻滅しつつ
うぇ〜いと浮かれポンチに楽しむyoungな私たち
当時インスタが主流みたいになってきてた時代📷
なんか、グアムって日本じゃね?
と現実に薄々気づく海外感じたいキャピ大学生な我らはここぞとばかりにマリンスタッフなどと写真を撮るバカ観光客をしていた。笑
そしたら、突然友達が騒ぎ出したの!
やばい‼️ついにザ外国人来るんだけど‼️
逆ナンしてた。笑
そうして出会ったのが
グアムのボブマーリーことDである。
うちらの目的はインスタ用の海外ちっくな写真だったため、セルフィだけ取ってそそくさとサンセット用の買い出しに向かった。
レゲエと夕日とローカルバーベキュー
買い出しを終えた私たちはまたしてもタモンビーチに戻ってchillすることに。
海なし県出身の私たちはあまりに美しい夕日に爆テンションで海辺で騒ぎまくる🌊
海のある暮らしに膨大な憧れを持ちはじめる
するとどこからかレゲエが聞こえてくる…
おいおい、ここはジャマイカ🇯🇲か?レベルで最高の夕日と音楽で爆チルしていると、あれよあれよご本人登場!
わー!昼間会ったDじゃん⤴︎となる若い私たち笑
そのまま夕日見ながら爆チルしてレゲエを聞いていたら、続々とビーチ仲間たちが集まってきた。
(ちなみに私たちの英語はTOEIC600行かないくらいなので内心ビビりまくっていた笑)
みんなでチルしながら話したりして
めっちゃいい日だったわー!
夕飯食べに帰るね!ありがと!
と写真目的だった私たちがそそくさ帰ろうとすると
大量の肉を持ったおじさん登場w
それがビーチで働くフレンドリーなJである。
ボブマーリーからバーベキューやらないか?と誘われるも、田舎大学生の私たちはグアムですらビビり散らかしていたので一度断り帰ろうとしていた。
すると!現地でご結婚された日本人の方登場‼️
速攻手のひら返し‼️参加‼️笑
日本人の安心度は世界共通である。
(タイは除く(w))
Jが"This is loco style"てめっちゃ言ってくるんだけど、まさかの私たちロコ(ローカル)すらわかんなくてhahahahaって言ったの覚えてる笑
当時わからなかったので、今でも頭にこびりついてるロコという単語🤙🏻
まさかタモンビーチで地元の人とバーベキューして国際交流とかめっちゃ楽しいじゃん!!ってなってたなあ。
どんどん現地の人たちが浜辺に集まり、
観光客を横目にビーチで爆焚き火する私たち。笑
9年経った今でも思い出すけど、本当にいい時間だった‼️と感じるし、当時もこれぞ旅だわ!一期一会!プライスレスすぎる‼️とか思ってた気がする。
勧誘してくれた日本人妻のKさん今でも感謝です🫂
見てくれてたりしないかと淡い期待を抱いている。
※久しぶりに写真見たけどがっつりご馳走なってて草
若い素朴なバカ観光客の私たちの未来にワクワクしてくれる大人たちって感じで、大人になった今でもあれは変な誘いではなく単純なウェルカムの気持ちだったんだなぁと思う。🔥
夜はきっちりと寝たい私たちはホテル帰ります!と爆食いだけして帰宅wしホテルのプールで騒ぎw
一生懸命翻訳機を使って、いかに楽しい夜だったのか感謝の気持ちをD🇺🇸とKさん🇯🇵に送った。笑
ここまで色々してくれたDから
Are you guys free tomorrow?
Do you wanna go for a drive around Guam?
(明日暇ならグアムをドライブするかい?)
と来たのでしっかりビビり散らかして
この人平気ですかあ!?とKさんにスパム報告をする😂
するとKさん🇯🇵からこんなメールが届く
神すぎてさっさと切り替えて
ドキドキしながら明日を待つことにした。
グアム島一周
さて、翌日。
本当にきた。笑
車に乗る最後の最後まで、
何かあったらすぐ飛び出そうね!
とか連絡方法を誓い合って朝作戦会議をした私たち。
(絶対に真似しないでください)
車に乗ったらその不安はスルスルと消えて行った。
Dは英語とほのかな日本語を駆使して観光地からローカルな場所までとにかく全部無料で説明しながら回ってくれた。
俺は日本に住んでたことがあるんだと言い出したD
マリファナで強制送還された。
とのことで
またビビり散らかす田舎大学2年生の私たち爆笑
ラグジュアリーなホテルに勝手に入り込んで
ホテルの裏にあるプライベートビーチにも連れてってくれた。
歴史的な場所に行くと必ずどんな背景があるのか説明してくれて、お恥ずかしながら国際関係学部でありながらやっとグアムが日本の戦地であったことを知るバカ観光客の私たち。
いろんなところ周りすぎてすべておぼえきれてないんだけど観光地からめっちゃ離れたどこかの公園。
車から見える景色とか、モニュメントも全部説明してくれた。
そして夕飯前にホテルまでちゃんと戻ってきてくれた。
うちらは格安だから決めた6万の旅行で
こんな最高の現地体験と無料ツアーができて
感無量すぎてやばい気持ちを抑えきれず
Thank you!!!!!を100回くらい伝えて帰宅した。笑
ありがとう意外が言えないもどかしさ
ホテルに帰ってから、Dまじいい人だったね!今回の旅行まじ楽しいね!サイコー!てなってた私たち。笑
昨日のバーベキューもご馳走になり、
運転もしてもらい、各地の料金も全部やってくれた。
うちらの英語レベルはTOEIC600程度の使用経験なし田舎もんだったので、ありがとうにも最上級があればいいのに…と強くねがったのを今でも覚えている。笑
言葉でお礼が伝えられなかった私たちは
悔しさとともに帰国が明日に迫る…
話し合った結果、ホテルに帰ってお手紙を書こう!となった。
そして翌日はなんとDは疲れ果てて来なかった笑
バーベキューでお世話になったJは海にいるじゃん!とお手紙を渡して胸いっぱい&悔しい気持ちで帰国しました。
そして帰国後にどうしてもお礼が伝えきれなかった悔しさと感謝の気持ちでアルバムを作ってグアムまで国際発送🇬🇺‼️
届いたよ!とDから写真が写真来たのにその写真がアルバムから見つけ出せなかった〜なんで!悔しい😭!
4年ぶりの再会
そんなこんなで帰国してから
ありがとうを100回連続でしか表現できなかった自分
ロコの意味がわからなかった自分
英語ができずとも知ることのできた世界
に感動が止まず
経験にお金をかけるべきだ!と思うようになった。
英語ができたらもっと人生の価値観が広がる!
知らない世界も見たい!そしてお礼を伝えにいつかグアムに帰りたい!とワーホリに行くことにした。🇨🇦
金銭的にワーホリしかできなかったから、
語学学校に一年通う人よりもぜってえ英語できるようになってやる🔥
とバチクソのど田舎(Kelowna)で裁判に巻き込まれたりパワハラでスタッフ全員辞めて1人になったりしながさら意地になって1年泣きながら働いた。
(ワーホリ今流行ってるけど私はもうやれる気力ない)
そして帰国後、就活を得て、やっぱり世界を見て人生をカラフルにしたいからエアラインに入った。
就活が終わるまでDとはずっと連絡をとっていた。
カナダ中も英語まじできねーよーとか愚痴ってた。
3年が経過して、就活も終わった。
英語も前より話せるようになった。
ついにこの時が来たと思った。
あの時言えなかった"ありがとうの最上級"を伝えに。
Dと久しぶりに再会‼️
やっと言えた
Thank you so much “for driving around this island and the LOCO bbq with your friends at that time”
(これも言えなかった当時、笑)
We both were super happy that we had great memories in Guam! とか多分言った笑
そして今さらだが英語で話していて、
Dが当時40過ぎだったことを知って爆笑した。
うちらは20代ギラギラボブマーリーだと思っていた爆笑
最近仕事を変えてパソコンを頑張ってるなどとofficeのでっけー参考書みせてくれたりチルして、みんな元気でやってるか〜とか話して、あーほんと、英語できるようになってよかった‼️ってスッキリした。
そしてビーチに向かう途中、道でJに会う。
そこら辺の道で再会して、2人でうぉおおお!てなる。
昔ほどの元気は無くなっていたけど、
再会できる人がいる事に感謝した。
この島は少し変わっちまったよみたいなこと話して結構辛かったが😭
旅の素晴らしさをさらに体感した一日だった。
別れは突然に偶然に
それから帰国して私はすぐ就職をした。
そして就職とともに訪れたコロナ。
Dからは毎日タモンビーチの夕日の写真が送られてきて、誰も来なくなって島が寂しそうだった。
そのあとGo to travelとかで空港が賑わい出して疲れ果て大変だった私。
コロナでてんやわんやしてるうちにDから夕陽が送られてこないことに気づかない日が続いた。
仕事終わりに友達とフラっと新しいBarに入ったら、まさかのグアム出身の日本人がオーナーさんだった。
え!グアム!私も友達いるよ!とDの話とか他の日本人の話をしたら、彼から言われた言葉に困惑する。
え?Dのこと知らないの?死んだよ。
あまりに突然のことで頭が真っ白になる。
そういえば夕日の写真こないな?
そういえばFBもインスタも何もないな?
溢れ出る不安
帰宅してからインスタのタグ欄を見たら、
お葬式の連絡の写真ばかりで溢れていた。
…😣😭
でもコロナだからか小さい開催で大きくできないようなことが書いてあった。
メッセージ送った。
もちろん帰ってこなかった。
あまりの衝撃と偶然に呆然としてる時、
ケータイの通知が鳴ってDからの返信!と開いたら…
"Dさんと友達になって5年記念日です!(Facebook)"
血の気が引いた。
友達になって5年記念日の日に、彼が亡くなったことをたまたま入ったバーの店主が、たまたまグアム出身で、たまたま知った。
全く偶然とは思えなかった。
わぁ。ごめん。。あまりにも私が気づかないから沖縄まで知らせに来たんだ。と反省した。
ふらっと入った店で全てを知ったのは
Dとの友達5年記念日だった。
また会う日まで🕊️
次の日私は沖縄の大好きな夕陽スポットに行った。
コロナ渦でグアムにはいけないから。
お葬式にも行けないなんてこの世の中はどうなってしまうんだろうと不安でいっぱいになった。
内容は割愛するけど、インスタのお葬式を主催してくれた人が何故亡くなったのかなど誰が発見したのかなどと色々と教えてくれた。
また、英語ができてよかったと思わされた。
そしてこれも最近気づいたことだけど、羽田空港でも成田空港でもなく沖縄を新卒で選んだのはグアムの経験があったから似てるところに行きたかったのかもな〜と。
英語ができるようになったのも、沖縄にきたのも、カナダでやり遂げられたのも、あの時のグアムの経験があったからだったんだなと思う。
私は海に行くと必ずレゲエを聴く。
今でも私はモノよりも経験にお金を使うし、
一期一会の出会いはとても大切にしている。
大人になっても人生をカラフルにしていきたいと思っている。
次の旅はグアムと決めている。
目的は彼のお墓を見つけ出して、花を添えること。
Thank you! Thank you! Thank you!…×100
Moana