今、何かを変えたいアナタヘ
2020年2月
世界でパンデミックが始まったあの頃、私は暗いトンネルの中にいた
このままじゃいけないという焦りと不安
どうにもできない環境
手放すことの恐怖
何がしたいのかも分からない苦しさ
前回、看護師を辞めた理由をとても簡単に書きました。
看護師をしていたり、転職活動に悩んでいる人にも読んでいただくことができ、Instagramから暖かいメッセージをたくさんいただきました。
本当にありがとうございます。
あの時、私は人生で1番悩みました。とても苦しみました。何かのきっかけになればと、看護師をやめる決断をしたあの頃の想いを少しだけ綴ります。
1. 5年続けた"手術室看護師"
新卒で看護師となり5年目。
看護師の仕事は楽しかったし、大好きだった
先輩にも、私だけは絶対手術室を続けるだろうと言われるくらい楽しんでいたし
先輩も後輩も、ドクターも本当に優しかった
辛い時に相談できる同期もいた
リーダー看護師を任されるようになり、部内60人程の指揮をとる
私が勤めていた病院の手術室看護師リーダーは、15部屋のオペ調整と、約40人の看護師、麻酔科医との連携、おまけに緊急手術の受け入れ可否まで委ねられた
15部屋同時進行で施行される手術の進行状況を把握し、次のオペの開始時刻を決めていく
時には、もう顔が出かけている超緊急の妊婦がなだれ込んできたり、交通外傷で脳死状態の患者や、すぐに胸を開かないと助からない大動脈解離の患者が搬送されてくる。
私の調整次第でその患者が受け入れ可能になり、うまく調整できなければいわゆる"たらい回し"ということだ
5年が経ち、全ての手術を網羅し指導者となった時、後輩の凄まじい成長スピードに対して変化のない自分が億劫だった
もうその時には、自分の生き甲斐さえ感じられなくなっていた。
あの時の私は、Instagramの中にいる人の日常が心の底から羨ましかった
劣等感との戦い
終わらない戦いに、来る日も来る日も涙を流した
ご飯を美味しいと感じること
太陽の光が暖かいこと
鳥の囀りが心地いいこと
そんな当たり前のことに、
生きている嬉しさを感じて涙したこともある
職場に行っても、自分の劣等感に負ける毎日だった
とはいえ、何人の命を救ったか分からない救急の現場は本当に楽しかった
「私が頑張らないとこの人は死んでしまう」
そんなことをその場にいる全員が思い、
ただ目の前の命を救うことにベクトルを向けて身体を動かすあの瞬間が大好きだった
人を救えた喜びは一生忘れないだろうし、
ああ、これが天職なんだ、と何回思っただろう
大好きで楽しい仕事だったからこそ、1日1日で得られる成果が物足りなくて不安を感じていた
このままじゃ、取り残される
世の中に凄い人はいくらでもいる
何かしなきゃ。進まなきゃ
でも、大好きな仕事を手放す勇気もない
手放したら何もなくなってしまう恐怖もあった
考えても考えても答えが出ず、疲労困憊
自分のコントロールが出来なくなっていた私は
生きる目的を完全に失っていた
職場の師長には、今すぐ精神科に行きなさいと言われ、その場で予約をしてもらった
(いつも明るすぎる私が、人と接することができなくなっていて異常を感じてくれた)
精神科の先生と何を話したか覚えていないけれど、
泣きじゃくってスッキリしたことは覚えている
いくつかの精神薬を処方されたものの、怖くて1錠も口にすることはなかった
私のことを知らない誰かに話を聞いてもらうだけでよかったんだと思う
あの頃、強がりな私は誰にも相談できず、頼る先が"本"しかなくて
「人生をやめたいと思った時読む本/沢登和夫」
を手に取った
自分より病んでいる人を本で知って、少し自信がついた
私はまだ飛び降りていない。
「私、まだ大丈夫かもしれない」と。
(職場で何人も飛び降り未遂を見ていたので、ああはなりたくないと思っていたし、そんな勇気はなかった)
「今、自分がキラキラしていないと感じているのなら、自分を変える時だ」
そんな言葉に背中を押してもらい
大好きだった看護師を辞める決心をした
2. 私の看護観と使命
アフターコロナで、自殺者は11年ぶりに増加した
私は人を救うために看護師になったけれど、
大好きだったたった1人の大親友を亡くしてから、医療でも救えない命があることに違和感を感じていた
人の命を救うのは医療だけではない
今は、人の心を救うことでも命を救いたい
何を言っているんだと思われるかもしれないけど
本気でそれを叶えたいと思う
看護師はよく、「あなたの看護観は何ですか」と聞かれる。
でも、答えられる看護師は少ない。
私も看護師をしていたときは、自分の看護観はうまく説明できなかった。
今、私の看護観は
「すべての人の心に寄り添って、心を救うこと」
これは、求められても、いなくても。
性別も年齢も住んでいる国も関係なく。
広告代理店の詳しいことはよく知らず
ただアパレルに関する仕事がしたいだけで勤めた会社では
"コミュニケーション戦略"を教わった
人々の心を喚起させるにはどう魅せるべきか
人々がクリエイトしたものをどう伝えれば、双方がハッピーになるのか
そんなことを考える毎日が楽しかった
「人の心を救うことでも命を救いたい」
人の心をハッピーにしたいという私の想いも
この仕事でなら叶えられると、独立した今でも思っている
3. 私が頑張れる理由
私はずっと周りに生かされてきた
今でも辛くなったら助けてくれる人がいると胸を張って言える
だから、私もそんな人でありたいと思う
どうしようもなく辛い時
救ってくれるのは、医学ではなくて人の温もりで
この人は信じてもいいんだ、と心から思えた時
心の糸がほどけていく感覚がある
私にとってそれは、父であり、母であり、友人である
前回のnoteに、看護師を辞める際に両親へいくつか事後報告をしたことを書いた。
その内容に併せて、
今精神科に通っていて、心がどうしようもなく辛いことも打ち明けた
母は、「いつでも味方だから」と抱きしめてくれた
あの時、苦しさが一気にほどけた感覚がした。
人の心を救えるのは人の心なんだと。
前回のnoteを読んで、友人が連絡をくれました。
「読んだよ!とても暖かいため息がでた!お味噌汁を飲んだ後のあの感覚!」
この子はなんて素敵な言葉選びをするのだと思ったが、私がやりたいことって本当にそうゆうことで
実家の母のごはんにほっこりするあの感覚
手作りのお弁当を開けた時のあの感覚
朝陽を浴びながらのんびりコーヒーをのんだり
電車で席を譲ったり
そんな暖かくてほっこりする感覚が、このnoteを通して伝わればいいなあと思っている
風の時代
自由に生きることが受け入れやすくなったからこそ、一歩が踏み出しやすくなったと感じる
「死ななければ、なんでも挑戦したらいいんじゃない?」
ふと友人に言われた言葉が、今の私の背中を押している
突然筋肉ムキムキになって大会に出ても
家をはらってホテル生活を始めても
結局周りは笑ってくれた。
そして私もいい経験だった、と笑えるその程度。そんなもんなんだと思う。
自分は自分だし、人は人。
今、私は感情の趣ままに生きている
"怖くても進め"
挑戦すれば、怖いものがなくなるから
今、私が一番怖いことは、挑戦しない自分自身
できる可能性を自分自身で閉ざしてしまうことに一番恐れている
これを見てくれるアナタの幸せを心から願っています
ps.
私があなたにできることはなんだろう、と考える
お節介でも、嫌われても、周りのみんなが、世界中が幸せになれる方法を模索していきたい
だいすきな、大切なあなたに届きますように
miku