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「モモ」を読んだ。~「こういう風に暮らしたい」を妨げるものは、なんだろう。

ずっと、読みたいと思っていた「モモ」を、ついに、ついに、読んだ。自発的にではなく、友達の、「読んでー。ぜひ語りたいから。」というラブコールを受けて。

夫に、「どんな話なの?」と聞かれ、ざっと説明してると、「そりゃ、読み進まないはずだよね。だって、ファンタジー嫌いじゃん。」と、ずばりと痛いところを突かれた。

忘れないうちに、語り合うときに向けて、感想をざざっとメモしておくことに。

「モモ」で印象に残った点は

1.まず気に入ったのが、章のタイトル

ざっとあげてみる。

・大きな都会と小さな少女
・無口なおじいさんとおしゃべりな若もの
・おおぜいのための物語と、ひとりだけのための物語
・ふくれあがった夢と、すこしのためらい
・食べものはたっぷり、話はちょっぴり
・ゆたかさのなかの苦しみ

「モモ」ミヒャエル・エンデ

こういう、対比って、遊び心も感じられて、すごい好きなんだよね。「話はちょっぴり」とか、かなりつぼ。「大きな不安と、もっと大きな勇気」ってさ、読むだけで、なぜだかじーんとしてくるではないか!

2.真逆の性格の2人が仲良しであるってこと

これは、「無口なおじいさん(ベッポ)とおしゃべりな若もの(ジジ)」なんだけど、

観光ガイドのジジと道路掃除夫ベッポのように、これほどちがった種類の人間これほどちがった人生観をもった人間がなかよしだなんて、そんなことはありえない、と考えるのがふつうでしょう。ところがこのふたりはほんとうになかよしなのです。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.59

ジジを軽薄だと非難したことのない唯一の人は、ほかならぬベッポじいさんでした。そしておなじくふしぎなことに、変わりもののベッポじいさんを笑いものにしたことのないたったひとりの人間が、まさにおしゃべりジジだったのです。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.59

こういう人間関係って、現実的にあるものだと思うけど、理屈をこねるでもなく、素直な表現に、感動を覚えた。

わたしはつい、相手に共通点とか共感できるポイントとかを意識的、無意識的に探しちゃう傾向があるんだけど、相手をそのまま受け止める姿勢ってのも大事よね。

3.掃除夫ベッポの仕事のしかた。

これぞ、わたしが日々練習してる、一息つこうとか丁寧に心をここにとどめて暮らす感じ。

ベッポは、町がまだねむっている夜明けまえのこの時間がすきでした。それにじぶんの仕事が気にいっていて、ていねいにやりました。とても大事な仕事だと自覚していたのです。
道路の掃除をベッポはゆっくりと、でも着実にやりました。ひとあしすすんではひと呼吸し、ひと呼吸ついては、ほうきでひと掃きします。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.52

よごれた道路を目のまえに、きれいになった道路をうしろにして、こうしてすすんでいるあいだに、とても意味ぶかい考えが心にうかんでくることがよくありました。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.52

4.「時間の倹約」どきっとする

どきっとしますねー。

時間の倹約のしかたくらい、おわかりでしょうに!たとえばですよ、仕事をささっとやって、よけいなことはすっかりやめちまうんですよ。ひとりのお客に半時間もかけないで、十五分ですます。むだなおしゃべりはやめる。年寄りのお母さんとすごす時間は半分にする。(中略)寝るまえに十五分もその日のことを考えるのもやめる。とりわけ、歌だの本だの、ましていわゆる友だちづきあいだのに、貴重な時間をこんなにつかうのはいけまんせんね。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.98 

仕事がたのしいとか、仕事への愛情をもって働いているかなどということは、問題ではなくなりました。むしろそんな考えは仕事のさまたげになります。だいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.104

わたしは割といつでも仕事は楽しくしてきたけれど、「短時間に」とか、「マルチタスク」は重要視されてたスキルだったし、そう信じていたなあ。

5.食べものはたっぷり「ファーストフードレストラン ニノ」

食べるの好きなわたしとしては、ほんと、アメリカの(日本も?)ファーストフード文化には同意できない。

うしろの人波がモモを押しだしました。モモは機械的に動いてテーブルのところに行き、おなじように機械的に三回目の食事を口につめこみました。でもまるでボール紙か、かんなくずでも食べているようで、のみくだすのは並たいていではありません。すんだときには、胸がむかむかしてきました。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.293 

自分の身体を創り上げる食事の時間を削ってまで、何をしたいの?しなくてはならないのか?

6.こういう風に暮らしたいな

不可能なのか?そんなこと、ないよね。

大都会では、長いこと見られなかった光景がくりひろげられていました。子どもたちは道路のまんなかで遊び、車でゆく人は車をとめて、それをニコニコとながめ、ときには車をおりていっしょに遊びました。あっちでもこっちでも、人びとは足をとめてしたしげにことばをかわし、たがいのくらしをくわしくたずねあいました。仕事に出かける人も、いまでは窓辺のうつくしい花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりがあります。お医者さんも患者ひとりひとりにゆっくり時間をさいています。

「モモ」ミヒャエル・エンデP.393  

さて、みなさんは、どんな暮らしをしたいですか?どんな暮らしはしたくない?
そして、「こういう風に暮らしたい」を妨げるものは、何でしょうか


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