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09chiharu
「自分の感情くらい自分で守ればかものよ」に打ちのめされたというか目を開かされたというか
日本で妹の家に滞在中に、彼女の本棚に見つけた、わたしも好きな詩人茨木のり子さんの「おんなのことば」という小さなブックレット。
なんの気なしに、ぱらぱらと最初の詩を読んで、打ちのめされたような。
見事な言い切りっぷり「ばかものよ」って。
「自分の感情性くらい」という詩なのですが、最後の締めが、
自分の感情性くらい
自分で守れ
ばかものよ
すごい。
はい、すみません、そうします。としかいいようがない。
この詩は、1975年、彼女が48歳のときに書かれました。
一番最初から紹介します。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
はい、おっしゃるとおりです。
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」よりずっと手厳しい。
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
はい、そうですね。
友達や家族に対して、傲慢な態度をとっていないか、心より見直します。
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
ですねー。おっしゃるとおり。
志にも達していない、口先だけの気まぐれだった気もします。
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
この箇所は、彼女の「わたしが一番きれいだったとき」という詩も思い出されます。第二次世界大戦中の経験や想いも含まれているのでしょうか。
毅然とした宣言のようにも聞こえます。
そして、最後
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
忙しい、とか、忙しいふりして、自分をかまってないってことはないですか。
自分が喜ぶことって、なんだろう。わかんなくなってないですか。