[OldCityBoy的「映画」考察] 蜘蛛巣城(1957) ➡"能"の要素を入れてますが、本質はシェイクスピアの"マクベス"です。
日本語教師ボランティアのポーランド人の生徒さんからおすすめされた👇の映画を観たことを本人に報告し、「西部劇の元ネタって”黒澤明”の要素が大きいよね」、な話をしていると、「黒澤明の"蜘蛛巣城"って観たことある?」、と言われ、恥ずかしながら観たことがなく、さすがに日本人としてこりゃいかんだろう、と思い、観てみました。
で、シェイクスピアのマクベスをこれほど見事に映像化できる黒澤明に感嘆しつつ、解説に"能"についてに書かれていることには誤解を招きそうだったので、そこについて語りますね。
黒澤明が"能"が好きだったことは認識しており、確かにこの映画で能の要素は見つけられますが、それはあくまで演出的な技法にとどまっており、能の本質まではこの映画で消化していません(あくまでこの映画の本質はマクベスです)。
能に関しては👇で語ったのですが、あの世とこの世の間の世界を描く演劇であり、観ている鑑賞者もそんな幽玄な世界に連れていかれます(というか眠くなる)。
が、この蜘蛛巣城は、幽玄な映像表現は意図してやっていますが、観客が夢うつつな世界に連れていかれることはなく(眠くならないという意味)、セリフで、「眠りたい」「夢を見ているようだ」、と明確に説明しているように、映画の登場人物が幽玄な世界に連れていかれます。
よって、この映画では、観客を幽玄な世界に連れて行くわけではなく、幽玄な世界に連れていかれた登場人物を描写した映像表現になっています。
具体的には、主人公の周り人物に能の演出表現が繰り広げられるので、ある意味主人公は能の観客とも言えるのです。
と書いてみたものの、これは能を実際に観たことがある方でないと分かりづらいかもしれません。よって、ぜひ皆様にも能を観ていただきたいのですが、自身も久しぶりに能を見に行きたいな~、と感じてしまう、でもシェイクスピアなエンタメ時代劇でした。
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