6分割は音楽の大事な基礎のひとつ
ベートーヴェンop21の第2楽章もop36の第2楽章も3/8で書かれているが、この両者の小節枠の使い方は異なる。
op21の場合、2つの小節を分母にした3拍子でできている。
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だが、その設定を読めないままの演奏は、4小節めに足をつけてしまいがちだ。圧縮点に主題を捉える目を持てないと、だらしない緩徐楽章に終わってしまう。演奏のきっかけを踏む時に、5小節めと6小節目が見えていないなら、演奏者は、何を伝えないのかが分かっていない状態なのだ。
この小節設定は1つの分母の中に2回のパルスがあることを望んでいる。2つの小節の関係は並立的になる。
op36の場合は、これとは異なる。楽譜はlarghetto と言っているのも、そのための注意なのだ。largo 音楽は2つ小節をセットにする音楽であり、そうすることによって分母が「中膨らみ」によって次の分母へと進行することを狙っている。
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この小節設定が見えていないと、オチが見えなくなる。論理構造として結ばれない音の羅列に終わってしまう。結ばれないと形にならない。その曖昧さは音楽としては致命的だろう。その傷はK,522 の第1楽章の皮肉に通じるところがある。
3/8がこのように2つの小節を分母にして音楽を構成することがある。それには、この両者に対称的にみられるように目的がある。そして、これらは決して6/8では表せない音楽なのだ。
では6拍子とは何なのか、なのだ。
例えば、K.425のandanteだ。これは6/8拍子で書かれていているが、6拍子問題を克服していない演奏者の手にかかるとたちまち3拍子2つになってしまう。
1小節めは2小節目によりかかり、3小節目は4小節目によりかかるように書かれている。楽譜が与えているヒントはこの音楽の運動性を想起させるには十分だ。
だが、小節をひとつで把握できないと、1小節目の真ん中にある付点4分音符に取り付いてしまう。ブランコの揺れが2小節目に達するまえに付点4分音符に着地してしまう。だから、小節は2分割されてしまう。
もし、音楽がそう望むのであれば、この曲は3/8で書かれていたはずなのではないだろうか。ベートーヴェンop21の場合のように。
K.425のandanteは0小節目を起点とする小節の4拍子でできている。そうするいことで楽譜の運動性は生かすことができる。低音パートの運動は、小節の最後の8分音符を次の小節のアウフタクトとして理解すると、推進力の程度も見えてくる。
問題は、せめて指揮パートが、小節の中に足をつかない呼吸ができるかどうかに係っている。
実は20代のころ、一度指揮の勉強を諦めたのも、この問題に気が付いたけど克服できなかったからだ。
指揮運動が6拍子の小節をひとつに結ぶことができるかどうか。それは、6分割ができるかどうかなのだ。3+3や1×6ではなく、6/1的な把握ができるかどうかだ。
言葉遊びをしたり、英語やドイツ語とかを勉強したりしているうちに1つを6つで執るコツが掴めたように思う。6分割の目盛りが持てると楽譜の見え方は変わる。12拍子の意味も分かりやすくなる。テンポ感も掴みやすくなる。メトロノーム的テンポ感から卒業できるのだ。
音符が全体からの分割でできたものであり、本来のテンポ感も分割論から派生したものである。そのような成り立ちから考察すると、音楽を足し算で考えることが、本来的ではないことに気が付く。L.モーツアルトの教本を読んでいると改めてこの視野が必要なことを思いだす。
入門段階では足し算の方が分かりやすいけれど、どこかで割り算の考え方に切り替えないと、メトロノーム的テンポ感に支配された音楽観から脱却できないのだ。
よくあるような
「8分の6拍子は「1、2、3」「4、5、6」のように「3拍のまとまり」で感じる「大きな2拍子」です。3拍のまとまりを複数持つものを総じて「複合拍子」と言います。」(GoogleのAIによる)
なんていう把握に胡坐をかいていたら、何も変わらない。このような回答では先に述べた問題の解決にはならないからだ。