拍節の読み間違えは間延びの原因
BWV1067の終曲バディネリの冒頭は0小節目を起点とした小節の4拍子で成り立っている。
0 1 2 3 | 4…
だが、この冒頭の小節の中で認識できず、アウフタクトを1拍めのように誤認している演奏はフレーズの輪郭がなくて締まらない。さらにその続きでますます形が見えなくなる。小節の4拍子に続くのは小節の6拍子の2回転である。感覚的な把握では音に振り回されるだけで終わってしまう。
音符を鳴らしても音楽にはならない典型だ。聴いた感覚だけの把握では勘違いにさえ気がつけないのだ。
西洋の音楽には、ベートーヴェンop125の第2楽章にも典型的な、鳴っていない部分をも含めて拍節が成り立っているスタイルがある。これらを、感覚に騙されずに把握できるかどうか。その自律感覚こそが彼らの知的な悦びのひとつなのだ。鳴っている音ばかり聞いて、形を見れない。そういう拍節のボキャブラリー不足では誤認拍節は解けない。
例えば、このベートーヴェンop125第2楽章の第2主題が童謡のようなのんびりに聴こえているとしたら、それも把握の間違えの可能性が高い。
この第2主題は、フレーズの立ち上がりのひとつ前の小節をきっかけに、2つの小節の上下運動を分母とする4拍子フレーズの往復で成り立っている。vivace設定だからフレーズの前に、「踏む」動作がある。フレーズの開始はその反動である。そして、立ち上がったフレーズの開始にあたる、スラーで括られた♩♫のリズムは次の小節にかかるアウフタクトの位置にある。
だが、感覚的な誤認では、そのスラー小節が1拍目になってしまう。
音が鳴ったところを1拍め捉えてしまう癖が誤認の原因なのだ。なぜvivaceなのか?雰囲気だけの問題なら記す必要がない。聴いた記憶を優先してそこから始めてしまうからvivaceが分からないままで終わるのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?