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maestosoである前に、allegroであることを忘れてはならない

ベートーヴェンop125第1楽章。
16〜21小節目にかけての激しく落下する雷のような音型は、小節の5拍子の骨組みの中にある。D↘Aと落下する付点リズムばかりが、強調されがちだ。だが、本当に勝負の明暗を分けるの16小節へ
いかに踏みこむかなのだ。17小節目のアウフタクトをいかに引き出すかである。そして、さらに難しいのは17小節目のAのタイをどう処理するのかだ。それによっては、18小節目のアウフタクトから21小節目へかけての一連のセリフを尤もらしい音響にする程度にしてしまうからだ。この小節の5拍子という外形が見えてこないと、17小節目の位置も見えない。だから、ここをどう処理するのかもわからないのだろう。結論から言えば、このAを与えられた音価ギリギリまでテヌートさせる演奏はだめなのだ。それでは付点リズムの運動性は死んでしまう。リズムの弾力性を活かすには、長い音符に深く踏み込んではならない。これはop93の第1楽章の2小節目でも同じだ。

さて、この小節の5拍子という骨組みは実はここまでの過程から見ると、さらにこの5拍子を分母にした大きな3拍子という外枠も見える。

①12345②678910 ③11 12 13 14 15 |①16 17 18 19 20 ②21 22 23 24 25 ③26 27 28 29 30 | 31…

この設計が見えると、34小節目に大きなターニングポイントがある理由がわかる。さらには、この楽章が、単なるmaestosoである前にallegroであることを思い出させる。よくある巨匠風な雄大さではこの3拍子は生かされない。ブルックナー風な後期ロマン派臭ではない、いかにもベートーヴェン的な推進力にある姿が見えてくるのだ。

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