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整理できていない演奏を受け取るのは辛い
先日話題にしたD759の85小節目あたりとか、ブラームスop73第1楽章の118小節めあたりは、整理されていないまま演奏されてしまうことは少なくない。またブラームスop98第4楽章の3/2のフルートソロも似たような問題を感じさせられる。
テンポを遅くとって、ゴツゴツしたリズムの片鱗を響かせるだけの演奏というのは正直何を言っているのか分からなくなる。後者の場合も、フルートの音色がどんなに美しくても、その息遣いがどんなに魅力的でも、尤もらしい雰囲気しかないその演奏は、最早音楽とは言えない。
音圧がどんなに圧倒的でも、どんなに音色が美しても、整理されていない演奏では、演奏は淀み、流れなくなる。そういう発音はもはや音楽とは言えない。
整理して把握されていない演奏は、どうしても音楽にはたどり着けない。因数分解が済み整理されていない、演奏ではフレーズの方向性は見いだせない。そこに、意味とか、音色とか言ったところで意味がないのだ。
k.543 第1楽章第1主題やhob1:10/1のAndanteなどもその典型だろう。単純なようだけれど、整理されていない演奏だと、収まりが悪い。呼吸があっていないのだ。
整理されていないと、反対に軽薄になってしまう例もある。それはブラームスop73の第4楽章の第2主題である。
この第2主題はlargementeと歌い方での指示がある。つまり、2つの小節を分母にした中膨らみの音楽であり、4つの小節を分母としてきた第1主題とは同じ呼吸では歌えない。lagementeへの移行が、未整理な演奏では提示部の時、このギアチェンジに気が付かないことのほうが多いのではないだろうか。
その原因のひとつは、このallegro con spirito の小節の中を2つでとってしまっていることと、もう一つは、第2主題直前の木管コーラスのフレージングの無頓着でいることだ。ここでわざわざ2つの小節をセットにしているのを見過ごしてしまっているのだ。
この中膨らみの歌い方、つまり分母の切り替えとシンコペーションのリズムとが第2主題の推進力への抵抗となっている。テンポの抑制が自然に効くようにできているのだ。
この仕組みの整理ができていないと第1主題との差別化が図れない。4つの小節を分母とする4拍子による快速な第1主題、それに対して。2つの小節を分母とする中膨らみで推進力の鈍い第2主題。この描きわけに気が付けないから、軽薄な音楽になってしまう。さらにいえば、わかりやすい再現部の時だけ、無意識に2小節単位になっていることも多いように思う。そういう矛盾に気が付かないのも悲しい。
鳴っている音響を聴く耳では形が見えない。形を見ない演奏が音色にこだわったところで、ますます音楽は音響でしかなくなる。音楽をする以上は、その論理構造を見なければならない。もう少し楽にいえば、メロディの「オチ」はどこなのかを押さえて置かねばならないのだ。