国内産の食材を使用する・食べるということー「正食」という本質から考えよう

なぜ地産地消が推奨されているでしょうか。
なぜ地産地消は環境に良いのでしょうか。
なぜ国内産の食材を使用している商品は「体に優しい」と感じるでしょうか。

これらの問いにどう答えますか。

日本の食料自給率(カロリーベース)は38%(令和3年)。
世界ランキング179カ国・地域中で127番で自給率低水準の国が、日本です。

地産地消から離れた食事。
はるばる海を超えてやってきた外国産の食材には、オレンジ・メープルシロップ・アボカド・小麦・エビ・コーヒー・豆など、山のように挙げられます。

外国産のものを手にすると異国を感じてワクワクする反面、
船や飛行機、自動車で何千里も旅をしてやってきたということは、その分エネルギーをたくさん消費して辿り着いていると言え、はたまたどんな生産・加工・製造を経て輸入され、店頭やオンラインショップに並ぶのか、トレーサビリティが見えづらいです。

一方、国内産は、省エネになったり、生産者の顔が見やすかったりとトレーサビリティの把握が輸入物に比べて安易で、安全性が見やすい。
国内産を選んだ方が環境にも体にも優しそうと感じます。

だから地産地消、国内産のものを選ぶのでしょうか。
あくまで私の見解ですが、なんだか納得感が得られずにいました。


今回、福岡正信著「わらの一本革命」を読んで、これら疑問の解となる本質的な部分を見出せたと思い、書いていきます。

先の見解は、外国産を食べることに対するデメリットを挙げて、国内産の食材を使用 / 食べることのメリットに繋げる結論にしていました。しかし同書には、内で捉える地産地消の良さに気づき、国内産の食材を使用 / 食べること、そもそも「私たちが食べるとは」という本質を突かれたと感じています。

身土不二(しんどふじ)ー近いところのものをとっておけば、差し支えない

福岡正信は米麦連作直播、米と麦の不耕起・無農薬・無肥料の自然農法を、40年の歳月を費やし実現した人物です。

本著では、食材を作る生産者の視点から、本来ならば私たちは一体何を食べるのか「人間の食」について以下、言及しています。

人間が苦労してとってこなきゃいけないものが、一番悪い。
ー人間の身近なものが、一番いいことになってくるわけです。遠方へ離れたものほど行けません。食養には、身土不二という言葉がありますが、近いところのものをとっておれば、さしつかえないということです。
この村に生きているものが、この村に出来ているものを食べていれば、まちがいないんです。それが欲望の拡大につれて、遠方のもの、外国のものまで食べようとする。これが人間の体を損なうようになるんです。

福岡正信著「わらの一本革命」p112

かつて外国との交わりがなく、国内ですら交通の便が徒歩や馬だった江戸時代ごろには、近くのものでコト足らせていた時代があったはずです。文明の発展、グローバルな社会になっていくに従って、わたしたち人間はあれもこれもと貪るようになってしまったのかもしれないと思います。

<補足>
身土不二と地産地消の違いが知りたい人はこちらの記事を読んでみてください ↓

玄米、菜食が一番粗食のように見えて、むしろ、栄養的にも最高の食であるし、人間の最高の生き方をするのに、一番近くて楽なやり方だったわけ。

福岡正信著「わらの一本革命」p115

そもそも暮らし自体、近くで済めばわたしたちの身体の中のエネルギーもそんなに必要でなく、菜食で大満足できうる身体というわけなんですね。

私たちの食事を見直して「正食」になれば、自ずと身土不二となり、自給率も上がると、なんとも美しいロジックだなと感じてしまいました。

もっと根深いものがありまして、人間本来の姿を追求していけば、どうしても食から入らなきゃいけない。
正しい食をとって、そして正しい日常生活をしていくことが正しい思想というか、悟りというものをひらく道になるということ。

福岡正信著「わらの一本革命」p138

菜食にチャレンジして2回挫折した身としては、体質的に完ぺきな菜食は難しいかもしれませんが、緩ベジな食事を取っていきたいなと思います。

また、食事の献立を決める時、食べたいものを作って食べていたのですが、この本をきっかけに、正しい食事を摂ることの大切さに気づきました。
「正しい食事を摂る」の具体的な学びが、私にとってアーユルヴェーダなのだと腑に落ちたところです。勉強してきたヨガ哲学の姉妹哲学にあたるアーユルヴェーダ(生命の科学)。今年は学ぼうと思っていたのですが、頭でWHYの部分がやっと納得できました。

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