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京都の良さが分からなくなっている京都在住民

今日は朝から来客の予定があった。
岩手県陸前高田市から。


20歳以上の人だったら、あの日、どこで何をしていたか覚えている人は多いのかな…2011年3月11日。
当時、起業してまだ一年も経っていない時で、本当に何もできなかった。自分たちが来月どうなっているかも分からない状態で、寄付する余裕もない、ボランティアに行く時間もない。日々、流れてくるネットのニュース映像を見て気持ちが沈み、なんだか日本全体が重く薄暗くなっていくのを感じた。

少しずつボランティアチームが被災地に入り始め、色々な人たちが現地から発信をしていた。そのなかで岩手県陸前高田市でボランティア活動をしていた方のブログで、松林の流木が活動の妨げになっているというのを知った。
あの「奇跡の一本松」の場所には、もともと2kmに渡って松林があったそうだ。流された松の木は約7万本。その片づけに手間がかかり、置いておく場所にも困るといった状況だった。

「これで珠数つくれないかな…」最初は、そんな一言だったと思う。

土地勘もないし、現地に知り合いもいない、協力してくれる業者もいない起業一年目の京都の珠数屋(当時はワンルームマンションの一室でやっていた)…何ができる?
受け入れられるかなんて考えていなかったと思う。トラブルもあったし、ネガティブな意見をいただくこともあった。でも「お金がないから、時間がないから」と言っていても沈む気持ちは変えられない。

私たちは仕事をするために会社をつくった。
だったら、仕事をしよう!
現地にお金を落とす仕事をしよう!

流木松で珠数をつくり、はじめは広く販売し売上金の一部で寄付金をつくっていた。時間が経過すると共に地元のお土産品として、現地販売に重きを置くようシフトしていった。
そして、沢山の人の協力もあり、本当に本当に多くの人に受け入れていただけたと思う。

その協力していただいた沢山の人のうちの一人、現地の製材会社さんが社長の代替わりを機に、この松の珠数販売をやめることに。
もともと、こういう小さいモノを扱う会社ではないのに、たくさんのお力添えをいただき、ありがとうございましたの気持ちでいっぱい。この製材会社さんがいなかったら、そもそも実現できていなかった。
そして、それだけ時間が過ぎたことを実感する。
はじめに比べたら事業の規模はずいぶん縮小したけれど、この仕事は私たちにとって特別な想いのある仕事の一つ。受け入れられている限りは、ずっと続けていきたい仕事。



そういう経緯で、地元で販売を続けてくれる会社の方がお二人、陸前高田市から来られた。商談を終え、今日はこれからどうするのか尋ねると、
「大文字山って見に行けたりします?」…傍で聞いていて一抹の不安。
同僚が急遽、京都案内へ。

戻ってくると、いきなり
「手土産にと思ってニシダやさん(近所の漬物屋さん)に行ったら、くじ引かせてくれて2等当たった。好きな漬物3つ選んでって言われたから、普段は買わない高い方の漬物もらってきたけど。コレ、好きやったっけ?」と言って一番高い漬物を渡された。
たぶん好き嫌い分かれるヤツ…私は好き、奈良漬。 

ちなみにニシダやさんの名物は
しば漬け風味「おらがむら漬け」
まるごと入っているミョウガが美味しい

もらったお土産でコーヒーブレイク、いや奈良漬ではなく、お客さんからもらったお土産の方。
そして、京都案内に行く前の一抹の不安を言ってみる。
「大文字山って、送り火ないと山だよね?」
「そうやな…山やな」
「登るならまだしも、見て盛り上がるの?」
「喜んでたで。かなり近くまで行ったし、ついでに妙法にも行ってきた」
「妙は大通りから見えるからね」
「そうやねん。なんとなくこの辺っていうのは分かってるけど、大文字は建物に囲まれると見失う」

「明日だったら時代祭りだったのにね」
「平安神宮行ったら、準備してたわぁ。でも外から見ただけでも喜んでくれてた。あと将軍塚、めっちゃ喜んでた。祇園通って、御所も行ったし」
「わりとベタなところ行ったね」
「新幹線に乗らなあかんからな、遅れるわけにいかないし、なんか京都駅の大階段見に行きたいって言ってたから」
「そうなんだ!?あれって見に行くものなのか…」
「時間ない中で、わりと楽しんでもらえたと思うけど」
「まぁ喜んでもらえたなら良かった」

京都の端っこにあるような当店に来るお客さんは、地元の人か年に何度も京都を訪れるような人が多い。でも殆どの人は違うよね…東北から何度も京都に来たりしない。ベタな案内で良いのかも、ベタな案内の方が良いのかも。


さぁ仕事をしよう!

お客さんからもらったお土産

たかだ屋 一本松店さんは陸前高田市にあるお土産屋さん。
陸前高田市に行く際は、ぜひお立ち寄りください。

ごちそうさまでした

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