「京都国立博物館へ行ってきました」考え抜いて振り切った人は面白い
現在、京都国立博物館で開催されている「法然と極楽浄土」特別展に行ってきた。前期展示が終了する直前ギリギリ(前期は11月4日まで)。
一所懸命メモメモ📝している人がいたので、先にハードルを下げておきたい。以下、書くのは素人の雑感です。
かなりの見応えだった。雨のせいか夜のせいか、ちょうど良い感じの人数で結構ゆっくりじっくり見られたけれど、そのせいで2時間では少し足りなかったな。入館18時で出てきたのは20時まわっていて(閉館20時)…なのでショップ見てない😢
きっと注目は、表紙絵にもなっている阿弥陀来迎図「早来迎」なのだろうけれど、これは後期展示。
個人的には狩野一信の五百羅漢図が面白かった。珠数つなぎをしている羅漢さんがいて、「おっ!!」と静かにテンション上がった。たぶん誰も、そんなところ見ていないだろうな…第42幅、前期展示もうすぐ終わるけれど、もし行く人いたらぜひ見てください👀
報恩寺所蔵の厨子入千躰地蔵菩薩像もスゴかった。撮影できないのが残念だけれど…画像なら検索すれば出てくる。でも、これは実物を見た方が良い。その精緻さ…千躰の地蔵菩薩像もスゴイけれど、中尊像の光背よ…こういうのを見ると、ホントにどうやって作っているのだろうかと思う。
蒔絵厨子入阿弥陀三尊立像も素晴らしかった。
法性寺所蔵の如意輪さんも美しかったな。後ろに光背の穴があったから、なんで光背ないのだろう…と思ってネットで見たら、やっぱり光背あった。なんではずされていたのだろう…お陰で一周じっくり拝めたけれど。
法然さんは、貴賤の格差が生まれる造寺造仏は必要ないと説いていたけれど、凡人には手を合わせる対象:より所が必要なのよ。そして、それらを残してくれた先人たちのおかげで、何百年もの後、それらを眺めて喜んでいる凡人がここにおります。こういう展示を見に行くと、結局、仏像が一番テンション上がる。
そして、今回の展示で📷OKだったのが仏涅槃群像。SNSで、いっぱい画像アップされていたし、こういうのって期待が大きくなりすぎて実際に見ると「あれっ?」ってなるから、あんまり期待していなかったのだけれど、思いの外、壮観だった。
ざっくり解説
法然さんは、平安~鎌倉時代の僧侶で浄土宗の開祖。比叡山で修業したのち山を降りて、「南無阿弥陀仏」と称えれば誰もが救われるという専修念仏を説いた。親鸞さんのお師匠さん。
法然さんといえば専修念仏、「南無阿弥陀仏」と称えてさえいれば貴賤の区別なく誰でも阿弥陀さんが極楽浄土に連れて行ってくれる、という一見すると超自然的な教えを説いているようにも思える。
法然さん自身は幼い頃から聡明で勤勉で、自らに厳格で合理的な人という印象がある。そんな人が考え抜いて行き着いた先で、専修念仏に振り切ったのだと思うと面白い。
これは、ただ「南無阿弥陀仏」と言っていればいいのだと誤解されやすいけれど、悪人でも救われるよ~なんてことを言っているわけではなくて、目の前の本当に苦しんでいる人を救う方法を考え抜いた結果なのだろうなと思う。
「南無阿弥陀仏」と舌先三寸で言っているだけではなく、本気で称えることに振り切れるかどうかじゃないかな。
選択肢がない人の方が、振り切れるよね…今は教える方も教えられる方も選択肢が多すぎて、振り切れなくなっている、ありがたいことだけれども。
普段の生活の中で楽しく生きていくための創意工夫をして、主体的に自らの人生を築き上げていくこと、自分の意志と決断を尊重して生きていくことが、仏教なのだと思う。
何事においても、何を選択するにしても何を信じるにしても、意志と決断力、それらを後押しする思考が必要だ。
…と考える一方で、これも自分都合の解釈なのかな~と思ってみたり。これだから、学びきれないほどの考え方がある仏教は飽きない。
11/01 本日の珠数つなぎ
20年くらい前は、この地域では絶対に白房っていうのもあったけれど、そういう慣習的なものは今は少ないと思う。修理ついでに房色を変えたりすると、雰囲気も変わって新鮮。
明日は、溜めこんだ仕事を片付けよう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。