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【2025 読了 NO.11】ぱやぱやくん著『社会という「戦場」では意識低い系が生き残る』(朝日新聞出版)読了
著者は防衛大学校卒の元幹部自衛官である。随分ふざけた感じのペンネームだが、内容は極めて真面目である。
自衛官出身ゆえ、防衛用、軍用の用語がよく使われている。
「人生三十六計逃げるに如かず」という言葉がある。私、渡辺の人生は結構「逃げる」ことが多かったと思う。
確かに「逃げる」というとネガティブな印象を受けがちだが、私の「逃げ」は圧倒的に「逃げて正解」だった。
どんな逃げが正解で、どんな逃げが誤答なのか?
そこのところの区別をこの本で学んだ。
著者曰く、「戦争では、『敗走』と『撤退』が区別され」るという。
「人生という戦場でも、敗走をする前に『撤退』するという選択肢を持ってみるといい」
「一度、別の価値観に触れてみることで、自分の活力を取り戻すのは、まさしく撤退と同じです。それであれば、また戦うことができます。」
「撤退することは、負けではありません。」
別の価値観に触れて活力を取り戻し、体勢を立直すことができるのが「撤退」ということ。
その一方で「敗走」とは、部隊が壊滅して散り散りになる状態。既に体勢立直し以前の状態というわけだ。
負けではない「逃げ」と、完全な負けの「逃げ」の違いについて、もう少し深く考えさせてくれる部分が、最後の最後にもう一度あった。
「逃げ続けた先に待ち受けているのは、『誇りを少しも持つことのできない自分』だということを忘れないで下さい。」
逃げることで誇りが持てないのなら、逃げるべきではなくて、逃げることで誇りが保てるのなら、逃げるべきってことかな?
少なくとも不当に人を侮辱するような人間から離れて、自己肯定感を取り戻せるような「逃げ」ならば、それは許されると私はとった。