定価1,000円の未来
人体の60%は水分らしいから、わたしの60%はアールグレイでできている。
そう言うと何となくおしゃれっぽく聞こえるかもしれないけれど、実態はおしゃれさのカケラもない。
アールグレイはベルガモットという植物の香りをつけた紅茶で、柑橘系の香りがする。我が家では、キッチンに置きっぱなしのやかんにアールグレイが入っていて、家族はお茶がわりにがぶがぶ飲んでいる。
ケトルなんてカッコいいやつじゃない。小鳥の笛だってついてない。ホームセンターで買った2.5リットルの普通のやかん。それにぐらぐらお湯を沸かし、火を止めた瞬間に、ティーバッグを2個突っ込んでフタをするだけ。
まとめ買いしているアールグレイは、ショッピングモールの珈琲店で1箱 50P 497円。何しろコスパがいいし、ベルガモットが強めで、冷めてもしっかり香る。在宅勤務の日は、これを1日2回沸かしている。
もちろん緑茶は和菓子の友だし、中国茶も飲む。フレンチプレスで淹れる深い焙煎の珈琲も大好き。基本、あまい飲み物じゃなければ何でもござれのノンアルドリンカーだけれど、ここ数年、我が家のきほんのお茶はアールグレイで落ちついている。
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その頃、わたしは往復3時間をかけて電車通学する高校生だった。2日に1冊のペースで小説を読んでいて、その本は学校の図書館で借りていた。朝練と放課後の部活でスケジュールはびっしり。うっかりすると昼休みまで練習が入る。だから図書館へ行くのは、たいてい2限と3限の間の20分の休み時間だった。
その日もきっとその時間だったんだと思う。新刊本コーナーにピックアップされていた本の表紙には黒いチューリップが唐草模様のように描かれていて、何だか ざわっとした。本音を言うと、ちょっときらいな装画だった。すこし眺めて通りすぎようとした瞬間、司書さんに声をかけられた。
「昨日届いたばかりなのよ、それ」
司書さんはその本をとてもよかったと言い、わたしはそれを手に取った。
真珠のようなあわい光沢の表紙。模様は好きではなかったけれど、その手触りは好きだった。
吉本ばなな『キッチン』。
数え切れないほどの本を断捨離した今も、それは手元にある。
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そこから何度も何度もくり返し読むことになったその小説のなかで、わたしはこのお茶と出会った。
恋と友情、ライフステージの変化、愛するものの死。主人公のみかげと雄一は、ひとりで抱えるにはあまりにも大きすぎる喪失をともに持つことになる。そんなふたりが夜の紅茶専門店で語り合うシーンで、それは登場する。
彼は私のきらいなアールグレイというくさいお茶を飲んでいた。よく、田辺家の夜更けにこの石けんのような香りがあったのを思い出す。物音のない真夜中にわたしが小さい音でTVを見ていると、雄一が部屋から出てきて、お茶を入れていた。
あまりにも不確かな時間や気持ちの流れの中で、五感にはいろいろな歴史が刻み込まれている。さして重要でなかった、かけがえのないことが、ふいにこんなふうに冬の喫茶店でよみがえってくる。
(吉本ばなな「満月」、『キッチン』福武書店、1988年、p.118)
「くさいお茶」
「石けんのような香り」
その表現は、衝撃だった。
お茶といえば ほうじ茶か緑茶だった高校生のわたしには、「くさいお茶」という存在そのものが信じがたかった。しかも、それが「石けんのような香り」だという。
そりゃあ、みかげが「きらい」だと感じるのも理解できる。
飲めるんだろうか、それ。
でも、雄一はその「くさいお茶」を「田辺家の夜更け」にいれていたのだから、キッチンにアールグレイはあったのだろう。
くさいのにも関わらず、家に買い置きしていて、夜更けについ飲みたくなる香りの紅茶。
まだ見ぬそのお茶の香りを、クセになるのだろう味わいを、わたしは子供部屋の勉強机から想像した。
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それから半年ほど後のことだ。当時はバブルの真っ最中で、あちらこちらで地方博覧会が行われていた。その会場で、わたしは とうとう本物と出会うことになる。
天井まで組み上がった木製の棚に、きれいに並べられた紅茶の箱。できて間もない地元の輸入紅茶専門店の出展ブースだった。ざらりとした手触りのベージュの紙箱には、店名のスタンプが押されていて、「アールグレイ」とカタカナで書かれたステッカーが貼られていた。それを見つけたときの興奮は、忘れられない。
とうとう見つけた!と小躍りするわたしに、母と叔母はわけがわからないという視線を送り、「紅茶なんか飲まないくせに」と鼻で笑った。わたしはお小遣いでその茶葉を買い、たいせつに持ち帰った。
はじめて淹れたアールグレイは、華やかな柑橘の香りが立ちのぼり、あざやかな色あいで、わたしの心を踊らせた。どう味わってみても くさくはなかったし、石けんの香りもしない。わたしは、このアールグレイというお茶を好きになった。
それから学生になると、アルバイト代で様々なブランドのアールグレイを買って飲んだ。デパートの地下には いくつかのブランドのアールグレイが置かれていたし、輸入食料品店も覗くようになった。
そのなかには、どのブランドとは書かないけれど「くさいお茶」もあったし、「石けんの香り」ってこれかも?と感じたものもたしかにあった。それらをおいしいとは到底思えなかったけれど、「田辺家の夜更け」の香りにたどり着いた満足感だけは味わえた。
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図書館で『キッチン』に出会ったあの日、わたしは帰りの電車のなかでそれを夢中になって読み、読み終わらぬうちにバスを途中下車して、平積みされたその単行本を買った。
まだ消費税というものが世の中になかった時代。定価1,000円は当時のお小遣いからすれば高かったけれど、手元に置きたくなっての衝動買いだった。
収載された3つの物語に満ちている死と哀しみと愛、そして崖っぷちから削り出すようにして見い出す希望の光、磨かれる魂の成長。吉本ばななの描く世界にどっぷり浸かり、そこから何度となく読み返してきた。
そして、登場人物たちの、誰かをたいせつに想う気持ちの清らかさと温もりは、今もわたしの灯火となっている。
だから、この日のお金の使いかたはとても正しかったと思う。
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あれから何十年が過ぎ、わたしはアールグレイを毎日がぶ飲みしている。
この身体の60%の水分と、心や感覚の一部は、まぎれもなく過去のわたしが心動かされた物語からできている。
定価1,000円が連れてきた、一見なんの関係もない未来。
たいせつなのは「いま、何と出会って、何を選ぶか」なんだろう。
それは本とは限らない。人かもしれないし、1本のnoteかもしれないし、音楽かもしれない。もちろん、スーパーで手にとる食べ物かもしれない。
出会うものすべては、きっと未来につながっている。
出会い、心動かされ、選びとった何かが、未来の自分を創る。
そう思うだけで、あしたが楽しみになる。
あしたは、何に出会えるのだろう。