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映画『Ribbon』を観た話。

大阪芸大での4年間を突っ走ってきて、私も幾何か芸術への関心も沸いた。他の芸術作品にも興味が沸いた。気が付けば足しげく映画館に通い、美術館を訪れ、美しい景色を沢山の写真に収めてnoteでも見せるようになった。どんな状況に置かれても、人は必ずどこかで「美しいもの」を欲するし、あるいはそれを創り出したいと思うのだろう。

映画『Ribbon』。女優ののんが企画・監督・主演を務め、2022年2月25日から全国テアトル系などで公開中の日本映画。コロナウイルスの流行に翻弄される美大生たちの葛藤と心の再生を描くドラマである。

主人公は美大生のいつか(演:のん)。卒業制作展での展示を目標に作品を作ってきたが、開幕目前でコロナウイルスの流行により卒展が中止となってしまう。とりあえず作品を作り続けることだけは心に決め、家に持ち帰ってきたものの、創作意欲は湧かず、馬の合わない母親には作品をゴミ扱いされ、ご機嫌取りに来た父親にペースを乱される。先の見えない日々の中、いつかはある日、家の近所の公園で謎の人物と遭遇するのだった・・・。


「Ribbon」。主人公のいつかが作り出す美術作品が、絵とリボンを融合させて描かれたものであることと、いつかの心の中に潜むいくつもの感情をリボンを用いて画面に表すという、この映画の特徴を端的に表したタイトルである。このリボンの表現のおかげで、ひとつひとつのシーンやカットが、どこを切り抜いても絵画作品であるかのような錯覚に陥る。と同時に、いつかが感じる生みの苦しみ、葛藤、迷いといったものが、この映画を見ている側も追体験できる。

制作する場所を奪われ、発表の機会も奪われ、果たして自分は何のために絵を描くのか、自分が美大生である意味はあるのか。そんな芸術家の卵としてのアイデンティティの揺らぎ。それを、様々な色や曲がり方のリボンが上手く画面に表現している。この点はまさしく、のんワールド全開といった感じである。

一方、コロナ禍における自粛生活が主軸に置かれてしまったせいか、美術大学生感がだんだん感じられなくなってしまう部分は少し不満が残った。事実、上映終了後に私の中では「この物語の主人公が美大生である必要はあるのか?」という疑問が浮かんだ。特に序盤は、いつかの住むアパートに親族が順番に訪れるだけの展開に終始するので、その分の時間をコロナ前の大学生活に関する描写に費やせば、もっと深みの出る展開にできたのではないだろうかと私個人は思う。ともあれ「奪われた大学生活」と、奪われたことによって生じた「退屈すぎる日々」を、丁寧に、かつ実感の伴う演出で表現されていたのは凄く秀逸だと思う。スクリーンの向こうのいつかに深く感情移入してしまった。


誰しも間違いなく、ここで今自分が生きている理由とは何なのか必ず考える時が来るだろう。だが、本当は明確な理由は無いのかもしれない。むしろ、自分自身が一生懸命努力してこの人生に意味を持たせることで、その疑問は晴れるのだと私は思う。

いつかが最後の最後に創り出した、ひとつの壮大な作品。天から降り注ぐかのような大量のリボンは、私達を「意味ある人生を歩むこと」へ導いてくれる、蜘蛛の糸のように見えた。



おしまい。



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