授業で観た映画の話③「レクイエム・フォー・ドリーム」
大学の授業で一年間映画を見続けていたその備忘録として、これまで見てきた映画について複数回に渡って語る『授業で観た映画の話』シリーズ。三回目の今回は2000年公開のアメリカ映画「レクイエム・フォー・ドリーム」である。
ブルックリン郊外のひなびた団地に住む、未亡人のサラ。大のテレビ好きである彼女は、ある日いつも観ている視聴者参加型のクイズ番組から『あなたの出演が決まった』という1本の電話を受ける。一方、彼女の息子であるハリー、そしてハリーの恋人・マリオンと親友のタイロン。彼らは堕落した生活から抜け出すため、そしてそれぞれが願う夢を叶えるために、とある危険な仕事を始める。この4人のただひとつの共通点は
『全員ドラッグに溺れていく』
ことである。
私も、決して少なくはない本数の映画を見てきたし、なるべくどんな作品にもいいポイントを見いだそうと努力をしているつもりだが、この作品に関してはもうそういう次元になかった。もう、陰鬱すぎて辛い。一回の授業の中ではどうしても映画全編を見きれないのでいつも前後編に分けて上映するのが基本なのだが、この映画を取り上げた際は明らかに後編に出席する人数が激減していた。分かりやすく減っていた。
そら見たくなくなるよ。
何も救いようがない話だもん。
最近、昔の怖い映画が現代バージョンにリメイクされたり、『リアルすぎる特撮技術』を売りにしたホラー映画などが話題になったりしているが、この作品を観てしまうと全てが甘っちょろく見えてしまう。結局人間の現実、人間のリアルに勝る怖いもんはないと私は思った。
貧困から抜け出そうと奮起する人間の映画はたくさんある。「スラムドッグミリオネア」しかり、「エイトマイル」しかり。しかし、その結果さらに状況が悪化しドツボにハマる、という映画はなかなか無いように思う。大概計画や努力が報われて成功するパターンで収まることが多い。なので、こういった破滅的な結末を描くアメリカ映画もあるのだということにも、私は衝撃を受けた。洋画に疎い私の浅い意見なのでご容赦いただきたいが、それぐらいに、もうどうしようもないほどに破滅的な結末へ歩んでいく。
日本でこんなに肝の据わった破滅的な映画を撮れるか?と聞かれれば私は「絶対に無理だろう」と即答するだろう。少なくとも、芸術映画ならやれないこともないが商業的成功はできないだろう。
ただ、このどうしようもない暗さと陰鬱さをフォローするわけではないが、私自身としてははそこまで嫌いな作品ではないなと感じた。何なら好きな部類に入ってくるように思う。というかそもそも好きじゃなかったらわざわざ備忘録にして書かないしね。
なんかこう、自分には心のどこかで人間がズタボロになっていく残酷な筋書きを求めている節があって、それはきっと「自分には絶対に無い要素」を摂取したい、という気持ちがあるからなのだと思う。あえてこういう過酷な作品を鑑賞し自分の精神を厳しく追い込むことによって、鈍ってきた感受性や発想力を荒っぽく研ぎ治すことがある。レクイエム・フォー・ドリームはそういった意味で、私の文章や文芸に無かった「破滅」「堕落」という要素を与えてくれた貴重な作品である。
私自身から鑑賞を強く勧めることは決してしないが、もし全編見たら間違いなく今後の人生に計り知れないほどの影響をもたらしてくれる作品である。こう結論付けて、今回の記事を終えようと思う。
シリーズの過去回はこちらから。⇩
おしまい。