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ロプノール日記 Everyone Everything Tells Me The Way

未成年猫小次郎のションベンファイト(シャンパンファイトじゃない)について何度か書いてきた。
が先日ふと、全面放棄した。



理由の一つにエックハルト・トール氏の著述を知ったことがある。
その名はよく見聞きする。内容は偶然とはいえ以前から「アレレ?」となんとなく気がついてやり始めたこととも通底していたのでまったく違和感がなかった。タオや神道の「中今(なかいま)」なんかもその一種。ヒトも生き物も草木もモノもみんなおんなじ愛すべき存在だというのも。


トール氏はそれを完全に、しかも私好みなことに宗教ヌキで簡潔に言ってくれている。個人的には決定版と言っていい。


今に集中すると悩みも不幸もありえない。完璧にしあわせ。
それでもイヤな状況なら、そこから身を引くか、受け入れてただすべきことをする。これにも「今、のみ」と「思考をしない」をもちいる。


小次郎の粗相に関してはあれこれ調べて試しても治らないまま。
T兄と避妊手術ができるまでの辛抱と肩を落とし合い、それでもやらかすとついコレ❗️なんて言ったり。あやす時も二人ともそのことをからかいながらしていた。


でも私はやめることにした。受け入れることにした。
あの子にとってはそれがベストだからそうしてるのだろうし、あの子なりの事情や声なのだろう。
それにいくら猫だって毎日きつい調子でたしなめられたりからかわれたりするのはつらいはず。もし私なら緊張して始終落ち着かない。
つまりこれでは小次郎がハッピーにならない。
私たちはこの子とハッピーになりたい。


アレ?私はべつになれるなあ。
オシッコしたくてもできないよりずっといいじゃん。やわらかな毛布でしーとする時すごく気持ちがいいのだろうし。そんなのナノックスで即洗えばいい。ゆかが汚れれば拭けばいい。
実際この子のおかげでただでさえ壁がパラパラ剥がれて汚れていくようなこのボロアパートは常に掃除が行き届くこととなり、それはT兄と小次郎と私をより健やかにしてくれているはずだ。私にしたら掃除大好きだしスタイルはよくなるし運動能力上がるし。今職場復帰したら帰してもらえなくなるんじゃないかってほど腕は上がったと思う。修理や機械のメンテナンスもある程度一人で出来るようになったし。
またもともと虫、ごきぶりさんも恐れぬばかりか敬意すら抱いているので、出ても平気…だが越して半年。赤ちゃんに一度、中学生くらいの子に一度遭遇したきりだ。無論殺さず二匹とも外に逃がした。前のアパートで会った「星を背負ったような素晴らしい個体」を丁重に外へお連れして以来、ほんとに会わない。あの個体さんが連れて行ってくれたのかと思うほど。


小次郎が粗相をしても静かにすべきことをし、大丈夫、いい子いい子と撫でてやるようにした。
摘んできて生けてある野の花を食べてもそのまま食べさせることにした。
毒性があるかないかは植物が趣味なのでわかる。ネギ類やほか与えてはいけないものもあるがそれだけ気をつける。ま、野原に生えている草花はたいてい平気。第一動物はそもそも危険なものに手を出さない。かれの本能とかれを信じればいい。


実は一昨日、あの大食らいが初めて大量に吐いた。そしてまとわりついてはいつにも増して草花をねだったので、よく食べたがる豆科の花やハコベ、先の尖ったやわらかで新鮮な草などを水盆に浮かべてやった。

ホテル猫山、小次郎にモーニング・スペシャリテ。
鉢植えのパセリ、しそ、バジルもいつも食べたがるのでサーヴィス。スイートピーはベランダでやっと花をつけ始め、小次郎はこれが欲しくてたまらなかった。毎日盗み食いしていた。


猫まっしぐら。猫夢中。私も安心して自室で花が楽しめるし。
そのままたくさん水を飲み、しばらく五月の爽やかな風にあたっていたらいつのまにか奴さん、元気になっていた。
そればかりか、
「どうやら水音はがみがみ言わなくなったし、これ食べちゃダメとかのけちんぼもしなくなったんだ。それにぼくをいつもとっても優しく撫でてくれるぞ?」
とばかりに、安心して甘えるようになった。


好きなように生きなさい、小次郎。
私は笑う。
大好きだから。
寂しがってないても、きみはひとりぼっちになんてなれないんだから。だってみんなずっと友達なんだもの。ヒト以外もみんなずっとね。私たちが死んでもちゃんと大丈夫だよ。必要な手は打っておく。


頃を同じくして、久しぶりにT兄に対してふと心を閉ざしてしまいそうになった夜があった。
私の手料理を並べ、ビールを開けて二人で食べ始めたところ彼に電話がかかってきた。


あるあるらしいが、刑務所出身者どうしは仲良くしたがる。人には言えない共通の話題も多いし、何より「世間にハブられてる同士」のような連帯感もあるのだろうと想像するが、私はその夜不満だった。
電話は長く、終わらない。T兄の特に好物で張り切って作った料理は冷めていく。
私は少しだけ食べて(だいたい夜はあまり食べない)飲み物を持って自室に退散した。イライラしたし、
(いつまでそういう人たちとそういう話ばかりしてるの?ねこ、こわいよ。そんなの、好きじゃないんだ。またあっちの世界へ行ってしまうの?こわいよ)
でもなるべく静かになすべきことだけをした。
それから数時間話し声は絶えなかった。私はそのまま眠った。


というより。
不満だとか怒ったあ💢なんて気持ちを抱いてるのが嫌で早く捨ててしまいたくて、ふと初めてエックハルト・トール氏の本を読み聞かせてくれる動画をずっと低くかけていたのだ。


これがすごいのなんの。
聞き始めてものの10分も経たず私は満ち足りてしあわせで…なんてもんじゃない。
これまでもその感覚は幾度もあったけれど、それをいつでも感じていられるシンプルかつイージーな方法が分かって、すっかりどハッピーになってすうすう寝ちゃったのだ。


彼の過去は彼の過去で、しかもトール氏によれば「過去も未来も存在しない」。そりゃそうよね。
我思う故に我あり。あれも違ってるとバッサリ。そりゃそうよ。思考こそ人間様のできる最も優れたことだなんて正気の沙汰じゃないことがすぐわかる。
そして私は昔から繰り返し、ここにも書いてきたが、詩やエッセイ、短編ファンタジー(と称する実体験)にそれら何故か「知っていた」ことを綴ってきた。
ああ、明日のおむすびは何にしようかなあ💕うれしく考えながら、眠った。


翌朝、T兄が済まなそうに色々気遣って話しかけてきてくれた。
つまりそうした知り合いの一人になんだかゴタゴタがあったらしい。T兄は無事で、水音と小次郎もごきげんないつもの朝。この瞬間。
これ以上、何がいるというの?
私たちはいつもの行ってらっしゃいのキスをする。私は歌いながら踊りながら小次郎と遊びながら掃除の続きを始める。


前の休日、初めてT兄が自分の車(友達に格安で譲ってもらったという。名前を聞くと「ネペンティス」と答えた。「【そのために】来ました」と静かに嬉しそうに答えた)に、新生活になってから初めて私を乗せて近くをドライブしてくれた。おまえたこ焼き食べたいって言ってたろ?と。
私は大喜び。
久しぶりに通る前住んでいたあたり。


すべてのものの「かれらの言葉」の嬉しい洪水の中でもう、不安も不運も不幸も私に降りかかるのは無理なんだと分かった。
T兄も小次郎も私自身も、部屋や気持ちを散らかしてくれることで私に重要なことを教えてくれている。
すべてがすべてを教えてくれてる。すべてが愛につながる。
T兄に、ありがとう、と笑って何度も言った。愛してる。ありがとう、と。
次の日の明け方
「ありがとうは、愛のうつくしい現れ方のひとつ」
とほほえむ龍に言われた。


とうとうここまで来た。
飛ぶことなんてできるわけない、と思っていた頃不思議なビジョンを見た。
その頃好きだった人はかなり上空にいて、だからこそ視野が広く優しく、よって誰より強かった。そういう存在はもういわゆる人の世のチカラすらあまり必要ではない。
私は憧れ、飛ぼうとしたが中空でウロウロして。
上には高い存在たちが飛んでいる。
私より下には飛ぼうともがくもの、飛ぶことすら忘れたか考えもせず地を這い回るものたちか見えた。
上に行きたい。
地位じゃない姿形じゃないお金じゃない、あそこにいる存在たちをわたし、小さい頃からとても好きだったから。


「どうだ。上から見たら」
「絶景ね。ただもう」
「それにみんな愛おしいだろ。おまえにはもう。上も下もねえ。おまえはなおもまだ汚れ仕事や勝手に汚れて泣いてる奴を好むが、それもずっとトライアルだったって知ってたか?
よお、100円バゲット買ってきたんだろ。ガーリックトーストで一杯やろうぜ。あとあのうまそうな新鮮なトマトもつけてくれよ?」
「レジー、トマトは一個だけなのよ?T兄にもあげるから三等分^_^でもにんにくはたっぷりつけたげる。みんな大好きだもんね」
「心配、止めたんだな。まああいつはもう行かねえだろう。もし仮に行ったとしても、おまえは幸せでいられるだろう?最早な」
「ええ」
「そう。ここが俺らの世界。今、おまえは、ここ。お帰り」

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