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言葉に隠された闇

pivot?という番組だろうか。
不登校9割復学とかという仕事をしている方のお話を見た。

はじめは嫌な感じだと思った。
だいたい不登校という言葉自体、当事者への思いやりのない言葉に思う。

そして、ほぼすべてが親の責任と豪語する。

無気力で不安な時に肝心な親が子供に振り回されて頼りにならないという。

そして、カール.ロジャースさんの来談者中心のカウンセリング

傾聴
共感
否定しない
答えを出さずに気づかせる

この考えを下地にし、
学校カウンセラーも見守りましょう
と、親が子供の言う通りに過干渉になる。それが昼夜逆転、オンラインゲーム三昧になると被せてくる。

しばらく見ていたが

通信制高校の話題あたりでみるのをやめた。
通信制高校から難関大学へ進学できるのは、全日制進学校の生徒が受験年度に、がっちり予備校でまなぶため通信制高校にうつり、集中して勉強するからだとのこと。

だから、闇として本来の通信制高校の難関大学進学は不登校からは、ほんのわずか、、、
といってるあたりで終わりにした。

コメントには昭和の方が厳しかったのに不登校はいなかったとか

全然わかっていないとか

賛否両論。

少なくとも今は

誰かのせいにすれば落ち着く、そんな問題ではないと思う。

そして、昭和の教育の厳しさの揺り戻しが今来ているというが
それだけ、昭和の教育に理不尽さを感じ、抱えながらもどこにも誰にも伝えられず、日々を過ごす子供達が多かったのではないだろうか?大人には権威があり、親にも教員にも悪口は言っても逆らえなかった。職員室で、少し髪が長いと言われ正座させられ、やめてくださいという悲痛な叫びのなかバリカンで羊のように刈られていく上級生。

そんな時代だったから尾崎豊が支持されたのではないだろうか?
だから、その世代が子供を学校に通わせる時、一抹の不安にかられるのではないだろうか?
暴力は受けていなくても、それを見ているだけで衝撃と罪悪感という傷を残す。

加えて
失われた30年の間に大人同様、子供も将来への不穏さと堂々たる不正がまかりとおる世の中を感じながら生きてきているわけで

休み時間や放課後に先生と遊んだり話したり、勉強をおしえてもらったり
日記を提出するなかで自分について語ったり
そんな時間も失われた。

教育現場をしらない
子供についてもしらない
国の代表者による教育改革

先生方の講習が多くなり、その分忙しくなり子供と接する時間も短くなる。
かとおもえば、教育内容もしょっちゅう変わるというより足されていく
ダンスをおしえるなんてのから
総合教育
英語教育
コンピュータ教育
情報教育
道徳教育の強化

小学校など全教科担任制で教材研究をして少しでも伝わる、楽しい、理解しやすい授業をしようとしても

渦に飲み込まれていくように過労で一年中栄養ドリンクを日に何本ものみ、
持ち帰った仕事も山のようにあり、睡眠さえとれなくなっていく。

そんな忙しい先生に、子供達も気を遣い遠慮して話しかけにくくなる。
悩みをこじらしてしまう。

そんな風にしてそれでもギリギリまで頑張ってきた子供達にとって

ある日の夕方
突然の休校、そして春休み突入宣言

震災で行動への規制が入り
コロナで規制が入り
逆らえないものがある空しさを
世界的に知らしめられる
たかが十数年しか生きていないのに。

そんななか
内申書が曲者で
入学当初から内申書が入試の6割を占めるので、理解するよう言われる。
不思議なもので、テスト100点、実技もよくできており、提出物をきちんとだしても5段階中3になる子供が少なくない。
印象の薄い子
印象の悪い子

子供達は、教員に少しでも好感を持ってもらおうと奮闘する、寄せ書きを書くようクラスメイトに指示して先生を感動させる演出を考える。

かたや、生徒だけのときはカースト上位が下位に聞こえよがしに嫌味をいう、

全て見えない

子供達の置かれている状況
先生がたの置かれている状況

思春期というホルモンバランスが大きく変化するときに起こる病気の数々
ホルモンバランスが安定すると落ち着くが、それさえ、学校に行きたくても行けなくなった。衝撃で子供自身が大きく揺れる。

子供にだって鬱がある。
エネルギーに満ち溢れていた子供も
エネルギーが枯渇する。

いろいろな理由がある。

まるで
強盗殺人が闇バイト
売春がパパ活
集団犯罪がいじめ
といかにも
意味しているものが何なのかを封じ込めるように

不登校の9割は親のせい

来年の流行語対象になるのだろうか?
起きていることを詳しく分析せずカテゴリーわけし、柔らかい言葉でごまかすのがうまい。
うまくても
嬉しくなく、逆に真実を隠すことに嫌悪感を感じる。

昭和に流行った金八先生は
平成に至っては、あんな働き方は無理だと気づく、完全にブラックだ。情熱をガソリンに走る黒い車だ。しかし、あんな先生に憧れた人も多かったかもしれない、
今となっては
跡形もない。

こんなにも世の中が変わったのに
どんな手をつかっても富めるものは勝ちという、身も蓋もない事実だけは子供にも大人にも残り続け
そんなもんよと簡単に受け入れられるか、理不尽な事実にショックをうけるかは
心の強い、弱いではなく
鈍感さと鋭さだとおもう

そういえば
鈍感力という本が流行ったことがあった。非正規雇用が増えた頃だ。

どんどんスグダフレーションが進み食料を買うことさえ考え込んでしまうのに、子供達だけ元気に健やかに育つわけがない。

不登校
学校に行きたくてもいけないなんらかの事情を抱える子供達。
だれかを悪者にしたてるのではなく
必ずしも学校に行くことだけに着目するのではなく

学びたい時に
体調が良い時に
学ぶ権利だけは保障すればよいのではないだろうか?

あとは、
わたしより頭の良い善人に
よろしくお願いします

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