【読書.5】1%の努力
善良な市民の皆さん、こんにちは。
今日から6月ですね。東京は雨です。
さて、皆さん、努力はお好きですか?
私は恐らく、いまだかつて努力という努力は数えるくらいしかしたことがありません。
ご覧のとおり、才能もありません。
でも、努力がどうしても出来ないタイプの人間なのです。
こればかりは仕方ありませんね。
出来ないものは出来ないのです。
でも、意外にも困った経験はあまりないし、それなりに幸せに過ごしている気がします。
この本を読んで、その理由がなんとなく理解出来たので、今日は気になった箇所をピックアップしつつ感想を書こうと思います。
著書は次のような冒頭ではじまる。
「スマホと財布を置いて外に出て一週間過ごしてみよう」
「一週間後に、キレイな服で、お腹も満たされて、何事もなかったかのように帰ってくることができる人はこの本を読む必要はない。」
「本書は、いわば“レールを外れる人生”の練習だ。」
皆さんだったらどうしますか?
私は前に書いた記事で少しだけ触れたのですが、家に軟禁されていたときに何も持たずに二階の窓から家を出て今に至るので、割と余裕です。
ちなみに今なら、知人が働いているコンビニまで歩いて行って、働くから泊めてくれって頼みますね。かなり普通の解決策です。
労働禁止だったら、気のよさそうな夫婦にかたっぱしから声をかけて泊めてもらいますね。相手が男単独だと泊まるのは簡単だけど面倒ごとが多いので。
最悪、野宿も出来ます。経験はなきにしもあらず。
著者のひろゆきさんは、友達の家を泊まり歩いて、かつ、そこに友達を呼んで飲み会を開催してアルコールや食べ物を持ってきてもらうと書いてます。
この図太さよ。
とてもじゃないけど、私には真似できない。
しかし、著書に書かれていることにだいたいは同意出来てしまったので私にはよくも悪くもひろゆきさんのような生き方(なまけもの時間術参照)の適正があると判明した。
悩みというほどのものではないのですが、長年、ずっと人との関わりで違和感があった。
「変わってるね」
「そんなことして大丈夫?」
この二つをやたらと人に言われてきた。
著書を読んで、共感をすることで私は”レールを外れる人生”を謳歌してきたという気づきを得てしまった。
ひろゆきさんと気が合ってしまうのは、とてもダメな気がするのだ!!
著書の中で気になった箇所の一つ。
「頑張る方向を見定める」では小学校時代の「夏休みの宿題」への取り組み方の簡単なタイプ別診断のようなものがあった。
1.早めに終わらせる、あるいは毎日コツコツやるタイプ
2.自由工作や絵などに時間をかけて取り組むタイプ
3.最終日が迫ってきて慌ててなんとか間に合わせるタイプ
皆さん、どうですが?
ものすごく勝手すぎるイメージですけど、noteのユーザーさんで文章を書いてる方は1、漫画を描いてる方は2のイメージがあります!
ひろゆきさんは当然3でした。
ざっくりいうと
1.計画性があるという素晴らしい才能の持ち主。勉強に向いている。
2.時間をかけても仕方ないようなことに時間をかけてしまうタイプ。一人で黙々と出来る才能がある。社会ですぐには認められなくてもぜひ取り組むの頑張って!
3.突発的なことに対処する能力があり、「やばい、やばい」という状況もなんだかんだ楽しむ。リスクマネジメントや対人による交渉事に向いている。
私はなんと4です。
いつも、最後におじいちゃんがやってくれてたので夏休みの宿題とかはやったことがなかったです。面倒だったので、字もおじいちゃんの字のまま提出してました。
自由工作みたいなのは、確か、おじいちゃんの趣味で戦艦みたいななにかを提出していた記憶がうっすら残っていますね。自分で手をつけていないものはやはりすぐに忘れてしまいます。
余談ですが、小学生のうちから楽を覚えると、中学、高校にあがっても提出物をこなすことが出来ない人間になってしまい、提出物を出さないせいで成績が10段階評価の1になってしまったことがあります。1年間で1が3個つくと留年になってしまうのでそれを恐れて夏休みの宿題は冬休み直前に出すようになり、家庭科の提出物は裁縫が得意な友達に千円でかわりに作ってもらう工夫をはじめました。
話がだいぶそれましたね。
この1~3のタイプそれぞれによさがあるので自分のよさを見つけて伸ばしていきましょう。
3もしくは4(最高の仲間よ!)の方は、一般的にはダメなやつと思われがちですが、1,2の人には絶対に出来ないような突出した部分があるはずです!!!多分!!
私と一緒に強く生きていきましょうね!
ひろゆきさんはアリにたとえていました。
働きアリがせっせと働いている横でぷらぷらとなにもせずにただ歩きまわっている働かないアリがいる。
でも、その働かないアリがたまにでかいエサを発見して巣にかえって仲間に報告して仲間に運ばせるって。(最後まで自分では運ばないのだ)
私のように生まれつき働きアリの才能がない人間も必ずいる。
そんな人たちは、つねにでかいエサを見つけられる余裕を持って、究極の働かないアリを目指して楽しく生きていきましょう。