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#91 私が見つけたのはとてつもなくありがたいことでした


Marmaladeさんが企画をされています。

「見つけたよ」って言ってみませんか?  ちょっと立ち止まって‥‥  ふっとふり返って‥‥  ふと違う方向をみたりして‥‥

う~ん。全部いつもしていることだよなぁ。私にとってのいつもと違うことってなんだろう‥‥ そんなことをずっと考えていたのだろう‥‥


大雨の日に車を運転してたら、田舎道なので大きなトラクターの後ろを走ることになってしまって。

そのトラクターときたら、後ろに大きなタンクまでつけててその道路を占める幅が半端ない。ただでさえ時速15マイルくらいの後ろをついて行くのに、道幅がないので、しょっちゅう対向車をやり過ごすために止まる、止まる。

いつもなら『ツイてないなあ』と思ってしまうところなんだけど、今日は違う視点で楽しんでみよう、とじっくりじっくり観察してみた。


私の胸までありそうな大きなタイヤ。 むき出しのタイヤから、道路の水がクルクル跳ね上げられる。 トラクターのタイヤはこんなに大きいのに暴力的に水を弾くことはしない。そのゆっくりとした回転のたびにちいさな水の玉がぽぽろんぽぽろん‥‥とまるで飛び散りながら音楽を奏でる。 ぽろろん♫ ぽろん♪ 


なに?楽しい‥‥ わたしちっとも迷惑がっていないぞ。

私の後ろには見えるだけで6台の車が連なっているけれど、こんなスローモーションのような玉の水しぶきが見れるのは一番前の私だけなのだ。


晴天の日に青空の美しさに溶け込んでいくように車を走らせるとき、ああ神様、こんな素敵な日をありがとうございます、ってこころで言うのは簡単だ。

だけど、こんなビショビショの、間違って履いてきてしまったスニーカーのせいで靴下まで水が滲みた日にこそ、人生の良さを発見できる自分でありたいと思わされた。何かに対して恨めしく思ったりする自分はいったい何に対してそう思っていたのだろう‥‥


今朝のことです。

起き掛け、私のひとつひとつの動作に ”What if... ” 「もしもこんなふうに動けなかったなら‥‥」と自問自答してみたのです。

そうしたら、

ベッドから勢いをつけて体を起こしたことも、自分でお尻を回旋させて両脚をベッド脇に下げたことも、両足をついて立ち上がったことも、

すべてが自分で思い通りにやれたすごさを思ったのです。

自分で歩いてトイレに行く。

一年半ほど前、突然の激しい眩暈に襲われて目を開けてもつむっても世界が回転していて吐き気がした。あんなふうに体の異常事態があったことで、普通のことが普通にできることは平安なことなのだと知った。

年に一度か二度ぎっくり腰をやっていた私は、自分で体を起こせずに文字通り床を這ってトイレまで行った経験がある。這うことのできる腕の力があって感謝した。ただ、便座に座る段になってどうやって体をそこまで上げるのか、と相当工夫したことも今では懐かしい。(仕事を辞めてからはぎっくり腰とは縁がなくなった私だ)


たかだか起きて最初にトイレに行っただけ‥‥なのかもしれないけれど、 自分でなにも考えずにそれができている幸福を考えずにはいられなかった。

自分の身体を自分で動かすことができない人に比べて私は幸せだと言いたいんじゃない。比べることではないし、身体が不自由な人が不幸でもない。

ただ、当たり前にできているからと感謝すらしないで生きているから色んなことに不満が生じるのかもしれない、と思わずにいられなかった。


私の部屋にこんなポスターを置いています。

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もしあなたが、昨日自分が神さまに感謝したこと (物) だけとともに今朝目覚めたならどうでしょうか?


『自分に与えられたものに、それが当たり前と思わず、感謝する心を忘れないでいたい』そう示唆してくれる大切な言葉です。

いつもと違う視点で当たり前を見てみたら、このポスターの意味が心に迫ってくるようでした。


以上、私がMarmaladeさんの企画から気づかせていただけた「ありがたい」ことを書いてみました。

素敵な提案をありがとうございました!



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コノエミズ
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